「前後際断」

先日、「卒業生を囲んで」という行事がありました。大学に進学した卒業生が、高校1年生、高校3年生に自分の高校時代の勉強方法や学習へのモチベーションを生み出す工夫や大学生活について語ってくれる行事です。私も生徒と一緒に卒業生の話を聞きました。高校3年時の後悔をありのまま話して、後輩が同じ間違いをしないようにアドバイスしてくれた卒業生もいました。また、未来について自分の都合のいいように妄想して、懸命な努力を怠っていたことを正直に話してくれた卒業生もいました。

私たちは失敗した時に、諦めたり、悲観したりするだけで行動しないことがあります。また、「なんとかなるさ」と楽観して行動を先送りにすることもあります。どちらも、「今」という時間を精一杯生かしきっていない状態です。過去への後悔を引きずっていたり、まだ見ぬ未来が自分の思い通りになるような錯覚の中に生きている状態です。

こんなことを考えていた時に、新任の先生が「前後際断」という言葉を教えてくれました。過去や未来を断ち切って、「今、ここで」すべきことに集中することで、目の前の課題に一心不乱に取り組むことができる、という意味です。「過去と未来を切り離して現在だけを大切にしなさい」と受け取ることもできますが、過去の後悔や未来への妄想を消し去ることは難しいかもしれません。それならば、「過去から学んで、現在を大切に生きて、未来を築け」と受けとめた上で、「今の自分」を鼓舞して行動した方がいいでしょう。卒業生と新任の先生から、貴重な学びを得た1日でした。

「せいざ」

3週間前から8名の卒業生が教育実習を行っています。中村で6年間過ごした生徒たちが大学進学後、教師というキャリアをデザインして母校に戻って来てくれたことに、大きな喜びを感じています。昨日は、実習の集大成として研究授業が行われました。多くの恩師が参観する中、緊張しながらも一所懸命に授業を進める姿に、私は35年前の自分を重ね合わせ、初心を再確認しました。

文学部中国文学科書道専攻の実習生は、授業の最初に「それではこれから書写の授業を始めます。皆さん『せいざ』してください」と指示を出しました。授業は普通教室で行われていましたので、生徒は全員椅子に座っています。「せいざ」は「正座」ではありません。実習生が求めていたのは、正しい姿勢で座る正座ではなく、正しい姿勢で座ることに加えて、気持ちを落ち着けて静かに座るという意味の「静座」でした。

中村の書写の授業は伝統的に静座から始まります。点画の把握や筆使いなど技能・技術の修得を目指すと同時に、文字に表れる心を整えることを目指します。成果主義、効率主義の競争社会において、自分を見失わずに孤高を保つとともに、他者への柔和なまなざしを堅持し、人との繋がりを希求し続ける心を整える。「静座」が日常の中に根づき、当たり前のことになった生徒たちは、この実習生のような、温かみのあるクリスタルのような心を持った人になるでしょう。

「非凡」

「喜んでいいのにそれほど喜ばない、心配しなくていいのに必要以上に心配してしまう」

人生にはこんな場面が少なからずあります。喜びに鈍感で憂いに敏感であると言ってもいいかもしれません。「一喜一憂」という言葉通りに、状況の変化があるごとに喜んだり心配したりすればいいのですが、なかなかそうはいきません。大きくないと喜びと認められないストイックな自分がいたり、小さい憂いも大きく捉えてしまうデリケートな自分がいたりします。

何回失敗しても負けないで、そのたびに立ち直って頑張るという意味で「七転八起」という言葉が使われます。この言葉に圧倒されてしまう人もいるでしょう。「挫折する度に困難に立ち向かって乗り越えていくなんて私には無理だ」と諦めてしまう人もいるかもしれません。

「一喜一憂」も「七転八起」も難しいと言うのであれば、いっそのこと「七転八倒」はどうでしょう。もがき苦しむばかりで辛いかもしれませんが、喜ぶことも起き上がることも求められていない分、変なプレッシャーを感じる必要はありません。転んで、倒れて、苦労しながらも、できることから地道にこなしていく。当たり前のことを当たり前に実行していく。すべきことに一つずつ挑戦していく。

凡事を積み重ねていくことが「非凡」を生み出すのですから。

「学楽自琢」

新年度を迎え、1ヶ月が経ちました。連休前の4日間、中学1年生は、国語・数学・英語に特化した「授業オリエンテーション」を行いました。目的は、家庭学習方法の徹底です。授業は学校の教室だけで完結するものではありません。「予習・授業・復習」、つまり、「家庭学習・学校授業・家庭学習」があって初めて成り立つものです。「自学自習・協働学習・自学自習」と言ってもいいでしょう。そこで、家庭学習(自学自習)の方法を徹底するためのオリエンテーションを毎年行い、5月からの学びの充実を図っています。

「空腹の人に魚を与えてはいけない。魚の釣り方を教えてあげるべきだ」という言葉があります。自立の重要性を説く教えです。しかし、私はこの考え方を全面的に支持するつもりはありません。魚を与えるのは、すぐに答えを教えることと同じです。釣り方を教えるのは、解法を教えるパターン学習でしかありません。私が求めるのは、「魚釣りを好きになってもらう」という段階です。つまり、「自分から進んで学ぶ」という主体性と自律性を持ってもらう段階です。自分で試行錯誤しながら学ぶうちに、その教科が好きになってくる、学ぶこと自体が好きになってくる。その域に達した時が、大きな自己伸長の始まりです。

小学生・中学生・高校生たちが、、学ぶ楽しみを自ら見出して自分を磨いていく。その姿は、春の若葉のような清々しさと勢いを感じさせるものです。

「ダイバーCity中村」

春の花の香り、夏の太陽のきらめき、秋の葉の彩り、冬の純白。4月から新年度が始まる今、平成30年度の1年に思いを馳せてみました。しかし、同じ四季であるのに、春の落ち着かない拡散感、夏の厳しい暑さ、秋のもの悲しさ、冬の厳寒の息苦しさ、のように感じる人もいるかもしれません。同じ場所で同じ時を過ごしている人々が、同じように感じる必然性はありません。春を「ほのぼの」と表現する人や、「不安定」と表現する人がいる。冬を「透き通っている」と表現する人や、「閉ざされている」と表現する人がいる。

世界には独自の文化を持つ人々がいます。日本にはさまざまな地域文化を持つ人々がいます。東京には種々雑多な考え方を持つ人々がいます。清澄白河には新旧入り混じった慣習を持つ人々がいます。そして、中村にもいろいろな人々がいます。多様な価値観を持った生徒が集まるCity、それが中村中学校・高等学校です。

今年、創立109年目を迎える本校は「ダイバーCity中村」を追求します。多様性に溢れた街で、より多くの人と繋がり、知の融合が起こる街、それが中村です。その中で、ぶつかり合いながら、入り混じりながら、否定したり認め合いながら、一人ひとりが新しい自分を発見していく。このプロセスこそが、一人ひとりの四季の受けとめ方を深化させていくと信じています。

「真実」

勉強をしていると、自分の弱い部分を意識することがあります。「計画通りにいかなかった」、「また三日坊主になってしまった」、「知らないうちに居眠りしてしまった」、「問題が難しくてすぐに諦めてしまった」。こんなことが続くと、自分の至らない点ばかりに目がいってしまうことがあります。

どんな人でも、自分の未熟な部分に向き合うことは辛いことです。現実を突きつけられて何とも思わない人はいません。呼吸のできない海に潜っていくような苦しさがあるかもしれません。そんな苦難からは逃げ出したいと思うのが自然な感情です。

しかし、短所ばかりに目を向ける必要はありません。私たちには長所もあります。素晴らしい部分も改善すべき部分も、両方持っているのが私たちなのです。海に潜らなくてもいいのです。地上で水平に進んで、自分の幅を広げ奥行きを増していくことでも、短所は改善され長所は増えていきます。水平の歩みには海底に潜るような息苦しさはありません。また、ちょっと元気のある時なら、丘に登ってみるのも一案です。登っている時には少し苦しいかもしれませんが、見晴らしの良い場所に辿り着いたら深呼吸できる爽快感を得ることができます。その爽快感は、短所の克服や長所の更なる伸長がもたらすものです。

真実は一つです。「どんな方法でも、努力すれば必ず成長する」。

「トランジション」

高等学校の卒業証書授与式が近づいてきました。あと8日で、6年間毎日のように校内で顔を合わせていた高校3年の生徒たちがいなくなってしまいます。「巣立ち」「門出」「旅立ち」。卒業は、いろいろな言葉で形容されます。私は今、一種の欠乏感に包まれ始めていますが、その感覚の深さは学年の先生方の比ではありません。「笑顔で送り出したい、でも、巣立ってほしくない」。卒業式の準備をしている時、担任の先生方の心にはこのような葛藤があります。生徒との結びつきが強い、中村ならではの心情です。

巣立っていく生徒たちは、「生徒」から「卒業生」に立場が変わります。そのトランジション(節目)に際して、寂しさを感じる人もいるでしょう。卒業したくないと思う人もいるでしょう。しかし、人生はトランジションの連続とも言えます。「何かが終わり、中立の状態を経て、何かが始まる」。終わった時の気持ちをニュートラルにする、そして、次のステップへの強い気持ちを創り上げていく。どんな節目であっても、いくつ節目があっても、それを乗り越えていく力が、6年生には身についていると私は信じています。

生徒にとって中村は「学校」です。そして、卒業生にとって中村は「母校」です。単なる出身校ではありません。109年間に亘って、女性である先輩たちが創り上げてきた母校なのです。時には、「母港」として位置づけてくれても大歓迎です。

「ファーストペンギン」

2月17日(土)に、「第1回新入生と保護者のための説明会」を行いました。一般入試、特待生入試、ポテンシャル入試、適性検査型特待選抜入試に合格した、「多様な力」を持った小学生が集いました。新入生たちは緊張した面持ちでしたが、お互いに自己紹介をしてもらった時には、笑顔が溢れていました。説明会では、創立109年目を迎える中村の「20世紀からの伝統」を心に刻み、「21世紀からのキャリアデザイン」を実践し、私たちが追求する「22世紀型教育」を自分のものにしてほしい、という校長としての思いを語りました。

説明会終了後、私は、「宇宙よりも遠い場所」というアニメを思い出しました。この作品は、何かを始めたいと思いつつ最初の一歩が踏み出せない女子高校生が、南極行きを切望する同学年の仲間と出会い、南極を目指す物語です。

新入生たちは、友だちのいる地元の中学校ではなく、中村中学校を選びました。この12歳の決断は正に、新天地への「最初の一歩」です。不安を恐れず勇気を持って挑戦する姿は、「ファーストペンギン」と言ってもいいでしょう。南極を目指すことも、中村を選ぶことも、集団の中に埋もれていては困難です。誰かがやってくれると思っていては、自分で歩んでいくことはできません。多くの人の支えに感謝しつつ、自分の意志で海に飛び込む強い気持ち。このような主体性を持った新入生が、109年目の中村に薫風を吹かせてくれるでしょう。

「魔法の言葉」

中学1年生の国語の授業で、詩の鑑賞が行われました。たくさんの詩を読み、自分が気に入った詩を選んで、ワークシートにその理由と感想を書き、投票しました。その結果、「朝っていいね(浅田真知さん)」と「いのち(関根清子さん)」が上位2編に選ばれました。(「子どものための少年詩集2017<銀の鈴社>」掲載)

なんと、その詩人お二人が授業に来てくださいました。教室という生徒と同じ空間で、ご自身によるご自分の作品の朗読から始まり、生徒の感想や意見に耳を傾けてくださり、快く質問に答えてくださいました。生徒にとっては一生に一度の授業かもしれません。

生徒たちからは、「新しい力が湧いてきた」「今、自分が生きている意味、価値が分かった」などの感想が発表されました。お二人からは、「詩が好き。『これを伝えたい』という言葉を何年かかっても見つけて使いたい」「『書くことは生きることだ』と思うくらい書くのが好き」というお言葉をいただきました。

生徒たちは、大好きなことを見つけた人生の先輩たちから何を学んだのでしょう。「大好きって楽しいだけじゃないんだ」「大好きって人への感謝の気持ちも含まれているんだ」「大好きって人のこころにも繋がっていくんだ」「大好きって長く続けられることなんだ」「大好きって明日や未来に繋がっているんだ」

「大好き」は、今の自分に素直に向き合える魔法の言葉です。

受験生の皆さん。明日、目覚めたら、今まで入試に向けて頑張ってきた自分に「大好き」と言ってあげましょう!

「貴い営み」

入試が近づいてきました。小学6年生、中学3年生、高校3年生の皆さんにとっては、ハラハラ、ドキドキしながらも自分を励ましながら懸命に勉強に集中している時期でしょう。昨年末の全校集会では、受験を控えた高校3年生に、全校生徒が激励の拍手を贈りました。

入試は受験生にとって大きな、大きな節目です。学力向上を常に意識すると同時に、「自分」という人間に目を向ける機会が多くなる転換点です。受験勉強をしている自分をもう一人の自分が見つめて、褒めたり、励ましたり、批判したり、否定したりする。こんなことを繰り返しながら過ごす時期です。

イソップ寓話にこんな話があります。「プロメテウスは人間を造った時、二つの袋を首に掛けさせた。体の前には他人の欠点を入れる袋、背後には自分の欠点を入れる袋。それ以来人間は、他人の欠点はよく見えるが、自分の欠点は見えないのである。」

でも、受験生の皆さんは、自分の欠点に日々向き合っているのです。それは、今までの自分を振り返り、反省し、改善に向けて決意することに繋がります。もがきながらも「前に進む力」を高めているのです。受験勉強への取り組みは、実は、人の成長における貴い営みの一つなのです。壮大なことに果敢に挑戦している皆さんにエールを贈るとともに、今年が皆さんにとって素晴らしい年になることを心からお祈りしています。本年もどうぞよろしくお願いします。