「豊かな経験知から見える景色」

11月16日(水)の午後、“Nakamura English Day”が行われます。中学1・3年生は、日頃の英語学習で身につけた力を使って、さまざまなテーマについて書かれた英文や著名人の英語の演説を理解し、その内容を自分なりに消化し、その英文を暗記して中学校全学年の生徒の前で発表します。2年生は国内サマースクールで、外国人に深川を案内したことを、パワーポイントを使って英語でプレゼンテーションをします。

“Nakamura English Day”で発表するためには、選考会で選ばれなければなりません。その選考会である”Pre-English Day”が、今週、学年単位で行われました。全クラスの発表を聴きに行きましたが、3年生の中には、身振り手振りを加えつつ、まるで本当の演説者のように「スピーチ」をしている生徒もいました。このような生徒は、暗記した英文を発表するという域を超えて、英語をコミュニケーション手段として内容を聴衆の心に訴えるという域に達していたと思います。また、初めて発表する1年生については、全クラス、始まる前から教室全体が緊張感に満ち溢れた状態でした。黒板の前に立った時には、緊張が極限に達していることがクラスメートにも私たちにも伝わってくる雰囲気でした。「一所懸命暗記したのに忘れたらどうしよう」「クラス全員が自分に注目していてドキドキする」「自分の英語を聞かれるのは恥ずかしい」「授業担当以外の先生や保護者の方が後ろで聴いているのでプレッシャーだ」「大きな声が出せるか心配だ」など、さまざまな思いを胸に発表に臨んでいたようです。全員の発表が終わった後に、「緊張した人」と尋ねてみましたが、私の問いかけが終わるか終わらないうちに、全員が勢いよく手を挙げました。

極度の緊張状態の中で外国語を使って発表することを、1年生は経験しました。一生の中でも最初の貴重な経験です。全員の発表が終わった後、私は生徒たちに、「皆さんが緊張していることはよく分かりました。でも、その張り詰めた気持ちを乗り越えて、教室の一番後ろまで届く声で発表してくれました。皆さんの健気に頑張っている姿を見て、とっても嬉しい気持ちになりました。初めて英文を見た時から今日まで、一人ひとりが努力して成長したことが嬉しいのです。そのような地道な取り組みを続けていけば、皆さんは必ず伸びます。担当の先生の授業をよく聴いて、先生の指示をしっかりと実行してください。期待しています。」と伝えました。

生徒たちはこれからさまざまなコミュニティーの中で生きていきます。そのメンバーが日本人だけであろうと、外国人を含んでいようと、臆することなく意思を伝達することが求められます。そのための土台構築の一助に、経験としての“Pre-English Day”がなっています。英語の知識・技能を習得することは「形式知」です。そして、”Pre-English Day”のような行事は「経験知」です。感覚などとして体得された知識です。経験知を得るには手間がかかります。しかし、時間がかかった分だけ、さまざまな人生の「景色」をみることができます。その景色の写真が、自分の心のアルバムに増えていけばいくほど、人生は豊かになります。形式知だけを求めて邁進することが必要な時もあります。しかし、そんな時でも、回り道をしたり寄り道をしたりして経験知を求める。こんな気概が、21世紀を生き抜く生徒たちには必要なのです。

「子の思い 親の思い」

「母も父も私の進路について、『自分の目指す路を、迷うことなく進みなさい』と言ってくれました。でも、学費もかかるし、両親に負担がかかるのではないかと思っています。自分のやりたいことだけを考えて、親に甘えた状態で進路を決めていいのか。いろいろなことを考えてしまいます。」これは、中学2年生の言葉です。

この生徒は、親の経済的負担だけを考えているのではないと思います。毎日忙しく動きまわっている親の、身体的負担や精神的負担をも考慮しているのだと思います。親の帰宅時間が遅いのかもしれません。疲れているのに娘の話に真剣に向き合ってくれているのかもしれません。娘の夢にブレーキをかけるのではなく、後押ししてくれているのかもしれません。そんな親の姿を見て、この生徒は自分の生き方を見つめ直すことを、14歳で実践しているのかもしれません。「親は自分のために無理をしているのではないだろうか」と憂慮しながら。

「娘には幸せになってもらいたい。これが私の母親としての望みです。漠然とした希望ですが、そのために今、できることをする。それが親としての使命だと思っています。将来、娘は親の庇護から巣立ち、一人で生きていくことになります。その時に、自分の路をデザインし、その路を切り拓き、一歩一歩着実に歩んでいってほしいのです。」これは、在校生のお母様の言葉です。

このお母様は、単なる自己犠牲として子どものために何をすべきか考えているわけではありません。もちろん、自分の人生を子どもの人生に重ね合わせて自己実現を果たそうとしているわけではありません。ましてや、自分の敷いたレールの上を子どもに走らせようとしているわけではありません。子どもを「個」として認め、「個の成熟」に資することを、人生の先輩として可能な限り提供したいという思いを抱いているのだと思います。

親には親の楽しみがあります。仕事の楽しさ、趣味の楽しさ、ボランティアの楽しさ、友人と時間を共有する楽しさ、家族と過ごす楽しさ、学びの楽しさ・・・。このような楽しさは、比較の対象にはなりません。さまざまな価値が独立して存在し、かつ融合して、人生の喜びを紡ぎ出しているのです。その中の一つとして、子どもに関わる楽しさがあります。

あるお母様は、「子どもがどんなことでも、一所懸命取り組んでいる姿を見る時、例えようのない幸せを感じる」と仰っていました。勉強でも、習い事でも、趣味でも、交友関係でも、努力を惜しまず夢中になっている姿に幸せを感じるという意味です。純粋に「嬉しい、幸せだ」と感じるのです。

親と子は、このようなお互いの思いを伝え合うべきです。面と向かって話をすることは照れくさいかもしれません。しかし、親の負担を心配する子どもの思いと、子どもの伸長を無条件に願う親の思いが出会って融合した時にこそ、子どもの心だけでなく、親の心にも「風」が訪れるのです。その風は、暴風ではありません。悲風でもありません。もちろん、魔風や疾風でもありません。その風は、親子の気持ちを爽やかにしてくれる「薫風」であり、親子の穏やかな関係を築く「和風」であり、親子の歩みを応援する「順風」であり、何より、親子の心を成長させる「恵風」なのです。家庭で、親と子がこのような心地よい風を感じることを、心より願っています。