「善き隣人」

清澄祭が盛況のうちに幕を閉じました。多くの方にご来場いただき、生徒への温かい激励とお褒めの言葉をいただき、大変有り難く思っております。そして、お帰りになる際の皆さまの笑顔は、生徒にとってきっと、創立110周年清澄祭の思い出の1シーンいなっていると思います。また、オープニングセレモニー(部活動と5年生有志の発表)、ぴっころこんさあと(フルート演奏と合唱)、English Day(英語プレゼンテーション)にも、多くの保護者の方にご参観いただき、賞賛や労いの拍手をいただきました。

準備の段階はもちろん、当日にも困難な状況がありましたが、生徒たちはそれを嘆くのではなく、仲間と協力して乗り越えていました。級友のSOSにすぐに応じてくれた人、状況を察して支援が必要だと判断して主体的に手を差し伸べてくれた人、あるいは、仲間が率先して行動する姿を見てすぐに協力してくれた人。今までとはひと味違うクラスメイトや部活メンバーの一面に、一人ひとりが喜びを感じていたようです。

生徒たちはこのような、自分を支えてくれる人々に囲まれています。そして、自分は育ててもらっているという感謝の気持ちを大切にするようになります。その結果、自分自身が他者を支え育てる存在になりたいという思いを、無意識のうちに持つようになります。一人ひとりが「自分が他者のために率先して行動する」という規範意識を心の中に創成することで、全体が心地よいバイブレーションを生み出すことになるのです。このような「善き隣人」が溢れている学校を中村は目指しています。

「笑えよ乙女」

10月26日(土)、27日(日)は清澄祭です。今年のテーマは「笑えよ乙女~そこのあなたも笑いな祭」です。5年生の実行委員長と実行副委員長が、来校してくださる方々に笑顔で帰っていただきたいという思いを込めて設定しました。もちろん、生徒全員が一人ひとりの笑顔を大切にして、日頃の学びの成果を発表することが根底にあります。

1年という長期間にわたって準備をしてきた生徒たちもいますし、清澄祭を目標として練習を重ねてきた部活もあります。自分たちの「智力」を最大限発揮して、「無から有」を創り出す努力をしてきたわけです。その過程においては、級友と協力したり、先輩からの助言で活路を見出したり、後輩の意見から気づきを得たりしたことでしょう。時には、先生からの指摘でパラダイムシフトを起こした生徒もいたかもしれません。

このような「人と繋がる」という営みを経験していくことが、生徒たちを一回りも二回りも大きく成長させていきます。中村の文化祭は、生徒の主体性で成り立っています。「やりたい」という気持ちの強さが、行動とその継続を支えています。一人ひとりが見通しを持って行動し、振り返って、新しい見通しを創り直して、また行動して振り返る。こんなサイクルが学校のあちらこちらに散見される学校行事が清澄祭です。

一人で何役もの役割をこなしている生徒も少なくありません。智力だけでなく体力も必要です。これらの力が合体して、一つのものを創りあげる場が清澄祭です。ぜひ、生徒たちのアクティブな自己表現と真っ直ぐな笑顔をご覧ください。

「したい」と「できる」

私たちは「したがりや」です。あんなことがしたい、こんなこともしたいと、いつも思っています。ある時は、「あんなことができれば」、「こんなことができれば」と、夢というオブラートに包んでしたいことを列挙します。そして、「あれもできない」、「これもできない」と言っては、自分の不自由な境遇に不平不満を吐露したりします。

以前、ある生徒と面談していた時に、こんなことを言われました。「先生、したいと思ってもできないこともありますよ。私は勉強している時に、そういう思いにとらわれます。したいのに、なかなかできないんです。だから、気が沈んでしまうんです。自由に羽ばたくどころかどんどん海面が遠ざかって底に沈んでいくように感じるのです。それである時、やけっぱちになって、できることをしようと割り切るようになりました。それを続けていると段々、『できることをしたい』と考える自分が創られてきました。」

したいことができない不自由さを感じていた生徒が、できることをしたいと思って行動する自由を手に入れたのです。そして、したいと思って自主的に行動を続けていると、「できたこと」が蜘蛛の巣のように繋がって、「できること」が増えていったそうです。その中には、「したいなあ」と思っていたことや、「できればなあ」と願っていたことが含まれていたそうです。

チャレンジ精神も大切ですが、できることを主体的にこなしていく粘り強さも、その人の大切な宝物になるようです。

「アルカイック・スマイル」

「アルカイック・スマイル」という言葉があります。これは、紀元前6世紀の古代ギリシャのアルカイック美術の彫像に特徴的に見られる表情で、一見すると無感動・無表情に見えてしまう控え目な「笑み」のことです。不安定な人間の感情を可能な限り排除して、根本的な幸福感を求めた、優しく穏やかな笑みとも言われています。

「合格の知らせに破顔一笑する」という例文が、旺文社の国語辞典に載っていました。そこには、「顔をほころばせて、にっこり笑うこと」という意味が書いてありました。この笑顔には「嬉しい」という喜びの感情が含まれています。その意味では、アルカイック・スマイルとはちょっと違うニュアンスを持っていると言えるでしょう。

私たちは、「気がつくと微笑んでいた」という瞬間を経験することがあります。電車内で、隣のお母さんに抱っこされている赤ちゃんにニコッとされた時、無意識のうちに顔をほころばせている自分がいたりします。公園で散歩途中の子犬に見つめられた時、口角が上がっている自分に気づいたりします。自分の感情から離れたところで、幸福感を感じているのかもしれません。もちろん、根本的な幸福感とまではいかないと思いますが、アルカイック・スマイルに近いものだと言えるでしょう。

「笑み」は心が幸せな状態の時に生まれます。その意味で、笑みは幸福感の「結果」だと言えるでしょう。でも、微笑むことによって幸せな気持ちになる時もあります。つまり、笑みは幸せの「原因」にもなれるのです。勉強をしていると、ちょっと自信がなくなって辛い気持ちになる時もあるでしょう。そんな時こそ、自分にアルカイック・スマイルを贈ってあげましょう。