「感謝」

令和元年も残すところ4日となりました。私たちにとって、大きな節目となった1年でした。中村学園にとっても、創立110周年を迎えた年でした。この記念すべき年に、多くの受験生・保護者の皆さまにご来校いただいたこと、大変嬉しく思っています。ありがとうございました。

「年の瀬は、閑かに自分の心を見つめる、大きな節目」という言葉があります。12月29日には謙虚な気持ちで反省をする。30日には穏やかな気持ちでお世話になった人々に感謝する。31日には明日への一歩を踏み出すための決意をする。1年前にも同じような内容をこのブログに書きました。

先日の全校集会で、私は全生徒に宣言しました。「今年は、反省はしないし、決意表明もしません。年末の3日間すべて、感謝の気持ちを持って過ごすつもりです。29日には、毎日支えてくれた家族に感謝します。30日には、1年間一緒に力を尽くしてくれた先生方や職員の皆さんに感謝します。大晦日には、生徒の皆さんに感謝します。そして、新しい年を迎えます」

生徒に感謝する理由は一つです。いろいろなことを教えてくれたからです。常に笑顔を忘れずに人と接すること、挑戦することを厭わないこと、人と繋がろうとすること、挫折を恐れないこと、素直に他者を受け入れること、自分を飾らないこと、他者の成功を心から喜ぶこと、自分にうそをつかないこと、人の話を真剣に聴くこと、未来を見据えながら今を大切にすること、自分の短所を改善しようとすること、自分の長所をさらに伸ばそうとすること、地道に前に進むこと、正直に生きること。

私にとって生徒は「先生」です。多くの学びを与えてくれた生徒に感謝し、穏やかな心で令和元年最後の日を過ごします。皆さまにとって、令和2年が幸多い年でありますように。

「もったいない」

皆さんご存じの「土佐日記」は、紀貫之が記した1085年前の12月21日から翌年2月16日までの55日間にわたる、現在の高知県南国市から京都市への旅日記です。内容はさまざまですが、温かい心情が表され、ユーモア表現も多く使われていると言われています。

来年、日記を書き始めて28年目を迎えます。「5年日記」を使用しているので、今6冊目の2段目の欄に毎日書いています。1日たった5行だけではありますが、筆がすすむ場合もあれば滞ってしまう日もあります。最初の年は元日からではなく、7月下旬から書き始めました。中途半端な時期ですが、大先輩から「行動録でもいいから書いてみると心が豊かになるよ」というお言葉をいただいた日から記し始めたのです。もしもそのとき、「来年の1月1日から書こう」と区切りの良さを求めていたら、きっと書き始めていなかったと思います。

旅をしながら、感じたこと、考えたことを書き留めていくことは、多少のストレスはあったかもしれませんが、2ヶ月弱という期間を考えると、貫之にとっては楽しみを与えてくれる営みだったのかもしれません。もちろん、その文学的価値を考えれば、生みの苦しみがあったことは言うまでもないでしょう。

私の日記はただの行動録です。その意味では創造という意味合いはありません。それでも続けることに苦痛を感じることがありました。でも、1ヶ月も経つと「もうやめよう」とは決して思わなくなります。もったいなくてやめられないのです。継続が、この「もったいない」という感覚を育ててくれたのです。「辛い時ほど立ち止まらずに歩み続ける」こんな決意を持って心豊かに、新年を迎えたいものです。

「マラソン」

いつものクリスマスとは違う12月25日、いつもの大晦日とは違う12月31日、いつもの元日とは違う1月1日。受験生の皆さんはこんな気持ちを感じ始めていることでしょう。中には、「受験生なんだから、クリスマスも大晦日もお正月もない」と、自らを厳しく律している人もいるかもしれません。

娘の受験を思い出しました。どちらかというと自分に厳しいタイプの女性でしたので、その生き方を尊重して見守っていました。我が家では毎年、1月1日から一泊二日で祖父母宅を訪問していたので、「今年はどうする、受験前だけど」と訪ねてみると、間髪を入れずに「行く」と答えました。大丈夫かなと私の方が心配になってしまいましたが、「行っても勉強できるし、その前後の日に頑張るから大丈夫」と言われてしまいました。

受験で伸びるのは学力だけではないのだと、娘から教わりました。受験生は勉強だけを対象にしているのではなく、勉強している自分をしっかりと見つめているのです。「自分は自主的に勉強しているのか」「今日の自分は昨日の自分より頑張ったのか」こんなことを自問自答しながら、今まで自分に向き合ってきたのでしょう。そして、「今の自分が未来の自分を創るんだ」と、自分で自分の励ましながら、勉強に取り組んでいるのだと思います。

作家の永井龍男は1964年の東京五輪マラソンをみて、「抜くことでも抜かれることでもなく、ただただ自分の中を駆け続ける」と書きました。受験生の皆さん、心の中に火を灯し続ける「聖火」を抱いて、受験を駆け抜けてください。ずっと応援しています。

「書く」

先週、「守ろう人権 講演とメッセージのつどい」が、江東区・江東区教育委員会・東京人権擁護委員協議会の主催で行われました。その中で「人権作文」の表彰が行われ、300名を超す応募者の中から、本校中学3年生の作品が江東区代表2名のうちの1名に選定され、表彰状をいただきました。

江東区長をはじめ多くの参加者の前で、生徒は誠実に自分の主張を発表しました。お父さまや級友も応援に駆けつけ、緊張することもなく自然体で自分の言葉を届けていました。小学校の時の経験から学んだことを自分なりに消化して、今の自分、未来の自分に反映させているという強い意志と行動力に、多くの聴衆が心動かされたことが大きな拍手から感じ取れました。

「自分の言葉でほとばしる思いを表すことがいちばん心を打つのだ。対象と決めた物事を上下、左右、斜め、手前、奥とあらゆる角度からデッサンせよ。その時あたなの心はどう感じ、動いたのか。それを受け手は何よりも知りたい」ある歌手の言葉です。この生徒は自身の体験を対象と定め、それを中学3年生の感覚で捉えるとともにメタ認知し、多様な観点から見つめ、帰納的に自らの原理へと昇華させたのです。今までの自分にはなかった、純化された高尚な情念に辿りついたのです。

もちろん、小学生の時に、ここまで深く意識して受けとめたわけではないかもしれません。しかし、たとえ無意識な感覚であっても、心の深化に結びついていることには変わりありません。心を「書く」って、素晴らしい営みですね。

「読む」

読書の秋、よく耳にする言葉です。小学生の皆さんも、中学生の皆さんも、先生から言われたことがあるでしょう。もしかしたら家では、「あなたは読書の秋からはほど遠いわね、食欲の秋よね」などと言われたことがある人がいるかもしれません。

気温も湿度も下がり過ごしやすくなって、私たちは書を求めるのでしょうか。冬の訪れを体感し、開放的だった心が内向きになっているのでしょうか。それとも、暖色に変わる木々の葉に包まれて、人恋しくなっているのでしょうか。

書かれた文章には、気づき、連想、比較、同意、否定、想像、好意、嫌悪感、愛情、憎悪など、さまざまな筆者の内面が表れています。読者はその思いに触れ、自分の言葉で自分の思考を再構築します。また、筆者も自分で書いた文章を読みながら、今まで考えたこともない思考に辿りついたりします。その思考は、その人だけの自由な領域(アジール)です。

今、皆さんは、勉強を通じて読んだり書いたりしています。その行為は、皆さん自身のアジールへ繋がる路です。本を読むことだけが読書ではありません。本以外の書かれたものを読むことを、広い意味で読書と定義してもいいのです。本でも、雑誌でも、新聞でも、手紙でも、メールでも、教科書でも、参考書でも、作文でも、レポートでも、広告でも何でもよいのです。文字にこだわり、言葉に敏感になり、構成を受けとめて、文章に心を開いて、文を読む。未知の領域への自由な旅をしてみましょう。