「この声を未来へ」

中村学園は今年、創立110周年を迎えました。11月30日には、「中村学園創立110周年記念音楽祭」が開催され、平成3年から続けてきたフルートの演奏を中心とした音色をお贈りすることになっています。夏休み前には「記念誌」が全校生徒に手渡されました。タイトルは、全校生徒の応募の中から、現高校3年生が創案した「この声を未来へ」に決まりました。

また、この記念誌は生徒・教職員だけでなくさまざまな人々にも贈呈させていただいています。先日、30年振りに母校を訪れた卒業生にプレゼントしたところ、感想文が届きました。一部ではありますが、卒業生の母校への思いが詰まっておりますので、ご紹介させていただきます。

「自信がなく、何をやっても上手くいかず、できないことを周りのせいにしてしまうような私に、『君はできる』と声をかけ続けてくれた先生がいた。他の人ができないと思うようなことでも『できる』と信じてくれた。私はその期待に絶対に応えたいと思った。また、『時間に流されず、自分で時間を流すような人になりなさい』という先生の言葉は、私の道標になった。どんな状況でも誠実にベストを尽くすことだけは忘れなかった。そして、人は人に生かされていることを知った。私は中村学園の卒業生であることに誇りを持って、『この声を未来へ』伝え、繋いでいこうと思う。私の手をいつも離さないでくれた大事な恩師に再会した時に、恥ずかしくないように生きていこうと思う」

「克服の美しさ」

「水晶」という鉱石の名前を聞いた人は多いでしょう。パワーストーンとしても有名で、勇気の象徴や御守りとして携える人もいます。水晶は、地球の中心部に含まれる二酸化ケイ素が地中のマグマの熱で溶かされ、それが冷えて固まってできる石英のうち、透明度が高く無色のものだそうです。

冷えて固まった水晶が新たに熱を加えられると、再び成長が始まります。すると、結晶の内部に木の年輪のように、山の形をした模様ができ上がり、それがいくつか重なる場合もあります。ロシアの民芸品マトリョーシカのように、小さい結晶を包むようにより大きな結晶が形作られます。それを、「山入水晶」とか「ファントム水晶」と言うそうです。

水晶は何千年、何万年という長い時間を経て形作られます。その時間に比べれば人の人生は、一瞬と言っても過言ではないほど短い時間ですが、私たちも一生の中で成長していきます。伸長するための努力を中断してしまうこともあるでしょう。人間にとって、絶えず努力し続けることは至難の業かもしれません。しかし、諦めずに再度努力を始めれば、過去の自分を包み込むように、より大きな新しい自分が形作られます。その中には、過去の自分の姿が含まれています。努力を中断するまでひたむきに頑張っていた尊い自分の結晶です。

前進を諦めてしまった自分を乗り越えて努力を再開し、さらなる高みを目指して透明感のあるより大きな自分を創り上げていく。この営みのプロセスには、「克服の美しさ」があります。自分だけの「山入水晶」という御守りを持ちたいものです。

「善き隣人」

清澄祭が盛況のうちに幕を閉じました。多くの方にご来場いただき、生徒への温かい激励とお褒めの言葉をいただき、大変有り難く思っております。そして、お帰りになる際の皆さまの笑顔は、生徒にとってきっと、創立110周年清澄祭の思い出の1シーンいなっていると思います。また、オープニングセレモニー(部活動と5年生有志の発表)、ぴっころこんさあと(フルート演奏と合唱)、English Day(英語プレゼンテーション)にも、多くの保護者の方にご参観いただき、賞賛や労いの拍手をいただきました。

準備の段階はもちろん、当日にも困難な状況がありましたが、生徒たちはそれを嘆くのではなく、仲間と協力して乗り越えていました。級友のSOSにすぐに応じてくれた人、状況を察して支援が必要だと判断して主体的に手を差し伸べてくれた人、あるいは、仲間が率先して行動する姿を見てすぐに協力してくれた人。今までとはひと味違うクラスメイトや部活メンバーの一面に、一人ひとりが喜びを感じていたようです。

生徒たちはこのような、自分を支えてくれる人々に囲まれています。そして、自分は育ててもらっているという感謝の気持ちを大切にするようになります。その結果、自分自身が他者を支え育てる存在になりたいという思いを、無意識のうちに持つようになります。一人ひとりが「自分が他者のために率先して行動する」という規範意識を心の中に創成することで、全体が心地よいバイブレーションを生み出すことになるのです。このような「善き隣人」が溢れている学校を中村は目指しています。

「笑えよ乙女」

10月26日(土)、27日(日)は清澄祭です。今年のテーマは「笑えよ乙女~そこのあなたも笑いな祭」です。5年生の実行委員長と実行副委員長が、来校してくださる方々に笑顔で帰っていただきたいという思いを込めて設定しました。もちろん、生徒全員が一人ひとりの笑顔を大切にして、日頃の学びの成果を発表することが根底にあります。

1年という長期間にわたって準備をしてきた生徒たちもいますし、清澄祭を目標として練習を重ねてきた部活もあります。自分たちの「智力」を最大限発揮して、「無から有」を創り出す努力をしてきたわけです。その過程においては、級友と協力したり、先輩からの助言で活路を見出したり、後輩の意見から気づきを得たりしたことでしょう。時には、先生からの指摘でパラダイムシフトを起こした生徒もいたかもしれません。

このような「人と繋がる」という営みを経験していくことが、生徒たちを一回りも二回りも大きく成長させていきます。中村の文化祭は、生徒の主体性で成り立っています。「やりたい」という気持ちの強さが、行動とその継続を支えています。一人ひとりが見通しを持って行動し、振り返って、新しい見通しを創り直して、また行動して振り返る。こんなサイクルが学校のあちらこちらに散見される学校行事が清澄祭です。

一人で何役もの役割をこなしている生徒も少なくありません。智力だけでなく体力も必要です。これらの力が合体して、一つのものを創りあげる場が清澄祭です。ぜひ、生徒たちのアクティブな自己表現と真っ直ぐな笑顔をご覧ください。

「したい」と「できる」

私たちは「したがりや」です。あんなことがしたい、こんなこともしたいと、いつも思っています。ある時は、「あんなことができれば」、「こんなことができれば」と、夢というオブラートに包んでしたいことを列挙します。そして、「あれもできない」、「これもできない」と言っては、自分の不自由な境遇に不平不満を吐露したりします。

以前、ある生徒と面談していた時に、こんなことを言われました。「先生、したいと思ってもできないこともありますよ。私は勉強している時に、そういう思いにとらわれます。したいのに、なかなかできないんです。だから、気が沈んでしまうんです。自由に羽ばたくどころかどんどん海面が遠ざかって底に沈んでいくように感じるのです。それである時、やけっぱちになって、できることをしようと割り切るようになりました。それを続けていると段々、『できることをしたい』と考える自分が創られてきました。」

したいことができない不自由さを感じていた生徒が、できることをしたいと思って行動する自由を手に入れたのです。そして、したいと思って自主的に行動を続けていると、「できたこと」が蜘蛛の巣のように繋がって、「できること」が増えていったそうです。その中には、「したいなあ」と思っていたことや、「できればなあ」と願っていたことが含まれていたそうです。

チャレンジ精神も大切ですが、できることを主体的にこなしていく粘り強さも、その人の大切な宝物になるようです。

「アルカイック・スマイル」

「アルカイック・スマイル」という言葉があります。これは、紀元前6世紀の古代ギリシャのアルカイック美術の彫像に特徴的に見られる表情で、一見すると無感動・無表情に見えてしまう控え目な「笑み」のことです。不安定な人間の感情を可能な限り排除して、根本的な幸福感を求めた、優しく穏やかな笑みとも言われています。

「合格の知らせに破顔一笑する」という例文が、旺文社の国語辞典に載っていました。そこには、「顔をほころばせて、にっこり笑うこと」という意味が書いてありました。この笑顔には「嬉しい」という喜びの感情が含まれています。その意味では、アルカイック・スマイルとはちょっと違うニュアンスを持っていると言えるでしょう。

私たちは、「気がつくと微笑んでいた」という瞬間を経験することがあります。電車内で、隣のお母さんに抱っこされている赤ちゃんにニコッとされた時、無意識のうちに顔をほころばせている自分がいたりします。公園で散歩途中の子犬に見つめられた時、口角が上がっている自分に気づいたりします。自分の感情から離れたところで、幸福感を感じているのかもしれません。もちろん、根本的な幸福感とまではいかないと思いますが、アルカイック・スマイルに近いものだと言えるでしょう。

「笑み」は心が幸せな状態の時に生まれます。その意味で、笑みは幸福感の「結果」だと言えるでしょう。でも、微笑むことによって幸せな気持ちになる時もあります。つまり、笑みは幸せの「原因」にもなれるのです。勉強をしていると、ちょっと自信がなくなって辛い気持ちになる時もあるでしょう。そんな時こそ、自分にアルカイック・スマイルを贈ってあげましょう。

「矜持」

「天使はここに(朝比奈あすか著)」という本について、書評家の吉田伸子さんが次のようなコメントをお書きになっていました。

『高校1年生から7年間、同じファミリーレストランで働き続けている主人公真由子。馬鹿がつくほど生真面目で、人間関係も不器用。今どき女子とは思えないほど、おしゃれや恋愛にも疎い。けれど、彼女の胸にはいつも、仕事への矜持がある。幼い頃から自分にとって特別な場所だったファミレスを、誰よりも大事にしているのだ。いつも貧乏くじばかりひかされるのだが、真っ直ぐに、仕事に取り組んでいく。そんな彼女の姿から、働くことの真の意味が、ひたひたと伝わってくる。私たちの社会を支えているのは、世の中にいる無数の真由子たちなのかもしれない。』

真由子には「矜持(きょうじ)」があります。自分の能力を信じて持つ誇りがあるのです。人は、自負やプライドを持つと強くなります。真正面から物事に取り組むことができます。その勢いは自分の前進を加速させるだけでなく、周囲の人の背中を押すことにもなります。そして、そのような連鎖が社会における一人ひとりの役割の意味を明らかにしてくれます。「縁の下の力持ち」の時もあるでしょう。「グループの牽引車者」としてリーダーシップを発揮することもあるでしょう。どんな役割でもこなせる自信を大切にしましょう。

「自分を信じる。自分の言葉に責任を持つ。自分の行動にプライドを持つ。今の自分を肯定する。未来に向かって邁進する。」このプロセスが自分の能力をさらに高め、未来の自分を支えるとともに、他者をも支えることに繋がります。

「オリジナル花火」

ある書籍によると、先生という仕事は、生徒の思考を広げることに挑戦し、広げようとしている生徒を励まし、挑戦してうまくいかなくてもやり直すことのできる安全な場所を創ってあげることだと言われています。この主張は、先生を「大人」に、生徒を「子ども」に変えても成り立ちます。学校外でも大人なら、子どもの思考を広げてあげて、励まして、やり直すことができる場を提供してあげることができるからです。

他人に頼って学習に取り組むことによって、思考が広がるとは思えません。自らの意志で学び、その学び自体に楽しみを見いだす域に達して初めて、思考の広がりが実現するのです。そのために、大人は子どもの情熱や興味・関心を大切に受けとめてあげるとともに、将来の夢や希望を追いかけるために必要な知識・スキルなどを子どもに身につけてもらう必要があります。

「導火線に火をつけるようなものだ」と言った人がいます。後は自然に燃え続けて、花火が打ち上がるからです。確かに、導火線に火をつけてもらうことは楽で安全かもしれませんが、子どもにとっては、自ら導火線を創り、自分で火をつける方が楽しいのではないでしょうか。途中で消えてしまわないようなしっかりとした導火線を持つ花火を創り、火をつけて空に花火を打ち上げることほど、達成感を感じる瞬間はないと思います。自分だけのオリジナル花火を、何発も何発も打ち上げましょう。

「バトン」

バトンを確実にもらう。バトンをしっかり握って走る。バトンをスムーズに渡す。リレーで使われるバトンには、さまざまな思いと「つなぐ」という究極の目的が込められています。

先日、あるお父さまが、「自分の娘にきちんとバトンを渡したい」と力強く仰いました。その言葉には、自分が親から受け取った素晴らしいバトンを、自分の娘にも引き継がせたいという思いと、自分が生きてきた時代とは違う21世紀を生き抜いていけるような力を身につけてほしいという願いが感じられました。

小学生はもちろん、中学生や高校生も、このような保護者の思いや願いを一身に受けていることでしょう。その思いや願いは、「中学受験で良い結果を出してほしい」「いきたい大学に合格してほしい」という単純な希望ではありません。「中学校に入学して、勉強だけでなく好きな部活動で全力を尽くし、行事や委員会活動に楽しく取り組み、高校ではより深く学んで、自分の将来を見据えた進学先を見つけて大学などに入学し、好きな学問に全力投球して、自分の強みを生かしながら働き、キャリアをデザインしつつ充実した日々を過ごしてほしい」という、心の叫びと言ってもよいでしょう。

受験生の皆さん、中学受験でも高校受験でも大学受験でも本質は同じです。自分が定めた目標に向かって一歩一歩着実に進んでいけばいいのです。小学生の自分から確実にもらったバトンを、中学生の自分がしっかりと握り、高校生の自分にスムーズに渡していけばいいのです。自分のバトンを、自分の持ちやすい形にしながら、未来の自分につないであげましょう。

「紫陽花」

紫陽花の花言葉は「移り気」です。時期によってさまざまな色の花が咲くからだそうです。紫陽花寺、紫陽花電車など、多くの人をいざなう魅力的な花の割には、マイナスイメージの花言葉が与えられています。

考えてみると、私たちの心も移り気な面を持っています。「これにしよう」と決心しても、「あっちの方がよかったかな」と後悔することがよくあります。集中しようと思っているのに、気がつくと他のことに意識が引っ張られて、注意力散漫になる時もあります。その場その場で「色が変わる自分」に気づき、反省することもしばしばです。

先日、小学生の保護者の方とお話している時に、お母さまの力は偉大だなと思いました。「子どもへの愛情、明るさ、懐の深さ」などの子育てに関する軸が太いのです。もちろん、母親であっても一人の人間として、さまざまな場面で自分の「移り気」を自覚することはあると思います。しかし、子育てに関しては、振り子のように揺れ動くことなく、しっかりと根を張って、自らを律することを前提にして、子どもに接していると感じました。

移り気な紫陽花が、水滴に潤いを得て咲き誇っています。その、さまざまな色に目を向けて、梅雨を楽しむのも一興です。ちなみに、青い紫陽花お花言葉は「辛抱強い愛情」だそうです。ピンクの紫陽花の花言葉は「元気な女性」だそうです。白い紫陽花の花言葉は「寛容」だそうです。移り気かもしれないお母さまの心の中には、青、ピンク、白の紫陽花が勢いよく咲いているのです。