「純粋な織物」

令和になって、半月が経とうとしています。連休中に改元という非日常を体験した私たちは、いつも通りの生活に戻っているかのようです。

担任の先生たちは連休明けの7日、「みんなに早く会いたかったよ」という気持ちで、生徒の待つ教室に向かいました。もちろん、「休みが終わってしまった」という気持ちがなかったわけではありません。しかし、不思議なもので、クラスという空間はそんな担任の心を包み込んで変化させてしまうのです。

「おはようございます」という元気な声、友達と楽しそうに会話している笑顔、連休モードから切り替わっていないアンニュイな仕草、連休前とまったく変わらないまなざし、長過ぎた休みが終わって生き生きしている表情。こんな空間に足を踏み入れると、自分のクラスの生徒たちが創造する「令和の織物」に、心が自然と惹きつけられていきます。同級生との「ヨコ糸」だけにとどまらず、先輩・後輩との「タテ糸」を紡いでいく姿に、頼もしささえ感じてしまうのです。そして、このヨコ糸とタテ糸に、担任である自分の「ナナメの糸」をどのように絡ませていくのか思案します。

ある生徒は新元号が発表された時、“Order & Peace”ではなく、綺麗だというイメージを感じたそうです。私たちは生徒の織りなすヨコ糸とタテ糸に素直な自然美を感じます。その美しさを際立たせるように、担任としてのナナメの糸を添えるのです。生徒が創り出す「純粋な令和の織物」に、これからの社会に必要な“Beautiful Harmony”を感じていきたいものです。

「空気」

いよいよ平成結びの日が近づいてきました。先日、ある方から、「どうしましょう?平成が終わってしまいます」という文で始まるメールをいただきました。「何かあったのかな」と思いながら読み進めていくと、「日々多忙で平成から令和への節目を、自分なりにしっかりと捉えることができない」という意味だと分かりました。

岐阜県関市に平成(へなり)という地区があります。全国唯一元号とまったく同じ漢字を使っている地区です。そこで今日から、缶詰の販売があるそうです。「平成の空気」という缶詰が記念グッズとして売り出されます。缶の中には、平成地区の空気と平成の五円玉が入っています。平成の空気を保存して、令和への良いご縁があるようにという願いが込められているそうです。

メールを送ってくれた方は、「気がついたら令和だったということがないように、平成という時代を噛みしめる時間を、一日のうちわずかでも意識したい」と締めくくっていらしゃいました。自分の生活とは直接関係のない新元号への移行を、自分の中で大切な転換点として位置づけることができる人なのだと感じました。

「人々が美しい心を寄せ合う中で、和を保っていこう」という願いが込められた新元号「令和」です。五月一日を迎えるにあたって、平成という時代に思いを馳せることは、自らの人生を振り返ることでもあります。他者と協働できる自分を創るきっかけにもなります。心の中に「平成の空気」を持っている人として、令和元年の初日を迎えたいものです。

「学びを楽しむ」

「学びたいことを学ぶことが楽しい」と、ある生徒が微笑みながら話してくれました。なぜ楽しいのか?興味を持っている科目なのかもしれません。将来の夢に関係している科目なのかもしれません。成績の良い科目なのかもしれません。いずれにしても、この生徒の心の中には「学ぶ喜び」が存在しています。

「分からないことが理解できるようになることが楽しい」と、別の生徒がはにかみながら話してくれました。興味を持っていなくても、将来の夢と無関係でも、不得意であっても、この生徒の心の中にも「学ぶ喜び」が存在しています。

勉強と楽しさを結びつけるのは、難しいことかもしれません。試験のために勉強しているという意識を強く持っている場合はなおさらです。義務的に勉強している人、強制的に勉強させられている人、嫌々勉強している人には、なかなか学ぶ喜びが生まれません。

しかし、どんな状況であろうと、どんな気持ちであろうと、勉強を続けていると必ず「力」が身についてきます。力がついてくると意欲が出てきます。この意欲は意外と長持ちします。なぜなら、人は、教えられるより自ら学ぶことを好むからです。ゲーテは「青年は教えられるより、刺激されることを欲する」と言っています。主体的な学びにはワクワク感があります。この刺激が心に芽生えた瞬間を大切にして、学ぶ喜びを大きく、大きくしていきましょう。

「学びに入る」

春の雨の恵みを受けた清澄の森の桜の花びらが、新入生の入学を待っていてくれました。中学1年生29名、高校1年生普通科58名、国際科20名の新入生が入学し、平成最後の年度が始まりました。

今年の新入生は、令和元年、そして中村学園創立110周年という特別な年に入学しました。このような大きな節目をしっかりと意識して、自分なりの意味を持たせることができる中学生・高校生になってほしいと願っています。

入学の言葉で、中学生からは、「難しいことにも諦めずに挑戦し続けようとおもいます」という頼もしい決意が表明されました。高校生からは、「社会を支える大人の一員となれるように、広い視野を持った人として成長していきます」という社会貢献への高い意識が述べられました。

人生100年時代、まずは、一人ひとりが自己ベストを目指して力を尽くすことが要求されます。そして、成長を果たした個人と個人が繋がった時、チームとしての営みに深みと幅が生まれます。協働とは、このようなプロセスを経て進められます。

「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む」という佐藤一斎の言葉のように、他者に対しては春風のように優しく爽やかに接し、自分に対しては秋の霜のように行動をただすことができる。このような「人」に育っていくのではないかと、私たちの期待を大きく膨らませてくれる入学式でした。

「試験問題は友だち」

6年生の皆さん、中学入試が近づいてきました。「ドキドキ」している人もいるでしょう。「ハラハラ」している人もいるでしょう。受験生の皆さんは全員、大なり小なり緊張感を抱いて毎日を過ごしていることでしょう。

「いつも通り、冷静に」と自分に言い聞かせている人もいると思います。自律心を持っている証拠です。「心をコントロールして勉強に取り組むことが大切だ」と状況を客観的にとらえることができている証拠です。素晴らしいことです。

しかし、緊張感をすべて取り除くことはなかなか難しいことです。そうであるならば、「少し緊張していた方が力を発揮できるんだ」と視点を変えてみてはどうでしょう。「適度な緊張感は、心と身体を引き締めてよいパフォーマンスを生み出す」と言われています。

試験問題は戦うべき「敵」ではありません。協力して取り組むべき「友だち」なのです。試験問題が自分に求めていることを素直に受けとめて、自分がその求めていることに対して誠実に答えていく。出題者がどんなボールを投げてきてもキャッチする、そして採点者が取りやすいボールを投げる。試験問題と自分の学力がよきパートナーとして、「キャッチボール」をするのだと思ってください。

こんな気持ちで試験を受けてみてください。そうすれば、心地よい緊張感が生まれ、今まで培ってきた力を思う存分発揮することができます。

「大草原」

「これぐらいでいいかな?」と思った時、私たちは、可能性を思いきり追求することができる大草原ではなく、柵のある小さな牧場を無意識に選んでいるのかもしれません。確かに牧場にいれば、平穏に過ごすことができます。外敵からも守られますし、食物にも困らずに安心して過ごすことができます。一方、大草原にいる場合は、のほほんと過ごすことはできません。自分の身は自分で守らなければなりません。生きるために自分で食料を調達しなければなりません。常に緊張している状態を保つ必要があります。

しかし、大草原には行き止まりがありません。自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の身体で行動する自由があります。自分の気持ちに誠実に向き合うことができます。もっと遠くに行きたいという欲求を満たすことができます。自分の心を抑える必要がありません。

さまざまな不安があるかもしれません。しかし、自分だけの独創的な路を進みたいのなら、いっそのこと大草原を選んでみてはどうでしょう。限界のない空間の中で爆走してみてはどうでしょう。自分で自分の行動する場に柵を設けるなんてもったいないです。もっともっと欲張ってみてはどうでしょう。平成31年の元日が、皆さんの「もっと先へ」という気持ちを叶えるスタートラインになることを心から祈っています。

「年の瀬」

平成最後の年末が迫ってきました。本校は2期制なので、冬休み前に終業式ではなく全校集会を行います。中村では全学年全クラスがそろう全校集会はこの12月の集会だけです。高校国際科の生徒たちが1年間留学しているからです。高校2年生が12月に帰国し、高校1年生が1月に出発するため、冬休み前の集会でしか全校生徒がそろわないのです。

この年に一度の日に、私は次のような話をしました。「年の瀬は閑かに自分の心を見つめる大きなトランジション(節目)です。最後の3日間、こんな意識を持って過ごしてください。12月29日は反省の日。晦日は感謝の日。大晦日は決意の日」

「反省」とは、1年間の自分の言動を振り返り、自分が謙虚になることです。「感謝」は、自分を支えてくれた人々に対して「ありがとう」という気持ちを抱き、言葉と行動に表すことです。感謝の気持ちは心を穏やかにしてくれます。伝えた人にはもちろん伝えられた人にも笑顔が生まれます。そして、「決意」とは、明日への一歩を踏み出す意気込みです。12月31日の明日は「元日」です。よって、新しい年への強い気持ちを持って、平成30年を締めくくることになります。

これから起こるさまざまな人生のトランジションを、単にやり過ごしてしまうのはもったいないです。一つひとつのターンイングポイントを貴重な機会とみなして、自分自身を高めていくためのきっかけにしていきましょう。「世の中には絶対に適わない人が一人いる。それは未来の自分だ」

皆さま、よいお年をお迎えください。

「胆がない」

「肝胆相照らす(かんたんあいてらす)」とは、互いに心の底まで打ち明けて深く付き合うという意味です。「魂胆(こんたん)」は、心中に持っている企みや良くない意図という意味です。そして、「心胆を寒からしめる(しんたんをさむからしめる)」とは、心の底から驚かせ恐れさせるという意味です。これらで使われている「胆」は「こころ」を指します。また、「胆がない、胆が備わっていない」とは、「まごころ」がないという意味です。つまり、うそのない誠実な心を持っていないという意味です。

「正しさ」は時には人に厳しさを感じさせることがあります。正しいことを貫こうとすれば、人にも改善を求めてしまうことがあります。しかし、「まごころ」は人に安らぎをプレゼントしてくれます。誰もが自分に対して誠実でありたいと思っています。自分を大事にしたいと感じています。自分を粗末に扱うのではなく、自分を大切にしたいと感じています。自分の人生を切り刻んだり、自分を裏切ったり、自分をごまかしたり、自分にうそをついたりしないように過ごしたいと希求しています。自分に誠実な人には自然に「まごころ」が生まれます。その「まごころ」は他者の心にも届きます。家族や友だちだけでなく、多くの人と「まごころ」でつながっていく人。「胆がある」人は、地球市民として国境を意識することなく過ごしていくことができます。

「打たれ強さ」

数年前ですが、本校の高校3年生と志望大学について話をしていました。その生徒は、地道な努力を中学1年生からずっと続けてきた、学力のある生徒でした。学校の授業と授業担当者にすすめられた参考書や問題集を併用するだけで、学力を高めてきた生徒でした。

受験する大学はすべて難関私大で、現役合格を目指しており、受験科目は国語・英語・社会で、バランスのとれた学力を持っていました。私は、今までの努力の成果が確実に偏差値に表れていると感心しましたが、褒めることはしませんでした。それどころか、このままでは第一志望校合格が危ういと思ったので、「このままじゃ、第一志望校は無理だ」という厳しい言葉を発しました。

両親からも先生からも勉強のことで叱られた経験がなかったようで、かなりショックを受けた様子だったので、今後の学習について具体的にかつ詳細に相談をして、受験までの学習方針を明確にしました。

その生徒は見事第一志望校に合格しましたが、その報告に来てくれた時、「生まれて初めて勉強のことで、先生から厳しい注意を受けました。しばらくは立ち直ることができませんでしたが、『やるしかない』と気持ちを切り替えて頑張りました」と話してくれました。家庭でも学校でも叱られた経験がなかったのです。「すごいね、優秀だね」と褒められたことしかなかったのです。高校3年生で初めて挫折を味わったのです。

自分の思い描いた通りにいかなかった時に、這い上がろうとする活力が「打たれ強さ」です。立ち止まらなければいい、諦めなければいい、もう一回やればいい、叱られても褒められてもやることは同じだと思えばいい。努力を続けていると、こんな「打たれ強さ」が自分の心の中に必ず育ってきます。皆さんの心の中にも・・・。

 

「言葉を選ぶ」

私は海辺まで歩いて30分くらいの所に住んでいます。お休みの日に、エル(トイプードル)と海岸まで散歩することもあります。最寄り駅も海の近くなので、風向きによっては、ホームに降り立った時旅行に来たような錯覚を覚えることもあります。

ある日、電車から一緒に降りた中学生くらいの女の子が、「海のにおいだ」という言葉を発しました。その時私は、「この子はどちらの漢字を使うのだろう?」と興味を抱きました。「臭い」なのか「匂い」なのか。前者であればマイナスの感覚が、後者であればプラスの感覚が心に生まれていることになります。

もし、「海のいい匂いがするね」という夢のある発言であるならば、もっといろいろな表現が考えられます。「海の香りがする」「潮の香りがする」「潮の香だ」「海風を感じる」「海風の香りがする」「海風がそよいでいる」「磯の香りがする」

「海のにおい」を「海の香り」に変えるだけで、心の情景は一変します。家族旅行で訪れたコバルトブルーの海の色が蘇るかもしれません。その時の母親の幸せ一杯の笑顔を思い出すかもしれません。自分が描いた絵日記の色づかいを懐かしく思うかもしれません。

今はほとんど使われなくなってしまいましたが、「﨟長ける(ろうたける)」という言葉があります。「洗練されて、美しくなる、品がある」という意味です。作家の下重暁子さんは「自分の考えや意見を何度も練って、研ぎ澄ましていく、そういう作業を経てこそ品は出てくるもので、言葉を選ばずに発言するだけでは空疎でうるさいだけだ」と仰っています。

思考を練って、研ぎ澄ましていくには言葉が必要です。「におい」を使って考えるのか、「香り」を使って考えるのか。多くの語彙を持ち、使う前に言葉を選ぶ。その地道な積み重ねが未来の自分の「品」を創っていきます。読書の秋です。