「大草原」

「これぐらいでいいかな?」と思った時、私たちは、可能性を思いきり追求することができる大草原ではなく、柵のある小さな牧場を無意識に選んでいるのかもしれません。確かに牧場にいれば、平穏に過ごすことができます。外敵からも守られますし、食物にも困らずに安心して過ごすことができます。一方、大草原にいる場合は、のほほんと過ごすことはできません。自分の身は自分で守らなければなりません。生きるために自分で食料を調達しなければなりません。常に緊張している状態を保つ必要があります。

しかし、大草原には行き止まりがありません。自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の身体で行動する自由があります。自分の気持ちに誠実に向き合うことができます。もっと遠くに行きたいという欲求を満たすことができます。自分の心を抑える必要がありません。

さまざまな不安があるかもしれません。しかし、自分だけの独創的な路を進みたいのなら、いっそのこと大草原を選んでみてはどうでしょう。限界のない空間の中で爆走してみてはどうでしょう。自分で自分の行動する場に柵を設けるなんてもったいないです。もっともっと欲張ってみてはどうでしょう。平成31年の元日が、皆さんの「もっと先へ」という気持ちを叶えるスタートラインになることを心から祈っています。

「年の瀬」

平成最後の年末が迫ってきました。本校は2期制なので、冬休み前に終業式ではなく全校集会を行います。中村では全学年全クラスがそろう全校集会はこの12月の集会だけです。高校国際科の生徒たちが1年間留学しているからです。高校2年生が12月に帰国し、高校1年生が1月に出発するため、冬休み前の集会でしか全校生徒がそろわないのです。

この年に一度の日に、私は次のような話をしました。「年の瀬は閑かに自分の心を見つめる大きなトランジション(節目)です。最後の3日間、こんな意識を持って過ごしてください。12月29日は反省の日。晦日は感謝の日。大晦日は決意の日」

「反省」とは、1年間の自分の言動を振り返り、自分が謙虚になることです。「感謝」は、自分を支えてくれた人々に対して「ありがとう」という気持ちを抱き、言葉と行動に表すことです。感謝の気持ちは心を穏やかにしてくれます。伝えた人にはもちろん伝えられた人にも笑顔が生まれます。そして、「決意」とは、明日への一歩を踏み出す意気込みです。12月31日の明日は「元日」です。よって、新しい年への強い気持ちを持って、平成30年を締めくくることになります。

これから起こるさまざまな人生のトランジションを、単にやり過ごしてしまうのはもったいないです。一つひとつのターンイングポイントを貴重な機会とみなして、自分自身を高めていくためのきっかけにしていきましょう。「世の中には絶対に適わない人が一人いる。それは未来の自分だ」

皆さま、よいお年をお迎えください。

「胆がない」

「肝胆相照らす(かんたんあいてらす)」とは、互いに心の底まで打ち明けて深く付き合うという意味です。「魂胆(こんたん)」は、心中に持っている企みや良くない意図という意味です。そして、「心胆を寒からしめる(しんたんをさむからしめる)」とは、心の底から驚かせ恐れさせるという意味です。これらで使われている「胆」は「こころ」を指します。また、「胆がない、胆が備わっていない」とは、「まごころ」がないという意味です。つまり、うそのない誠実な心を持っていないという意味です。

「正しさ」は時には人に厳しさを感じさせることがあります。正しいことを貫こうとすれば、人にも改善を求めてしまうことがあります。しかし、「まごころ」は人に安らぎをプレゼントしてくれます。誰もが自分に対して誠実でありたいと思っています。自分を大事にしたいと感じています。自分を粗末に扱うのではなく、自分を大切にしたいと感じています。自分の人生を切り刻んだり、自分を裏切ったり、自分をごまかしたり、自分にうそをついたりしないように過ごしたいと希求しています。自分に誠実な人には自然に「まごころ」が生まれます。その「まごころ」は他者の心にも届きます。家族や友だちだけでなく、多くの人と「まごころ」でつながっていく人。「胆がある」人は、地球市民として国境を意識することなく過ごしていくことができます。

「打たれ強さ」

数年前ですが、本校の高校3年生と志望大学について話をしていました。その生徒は、地道な努力を中学1年生からずっと続けてきた、学力のある生徒でした。学校の授業と授業担当者にすすめられた参考書や問題集を併用するだけで、学力を高めてきた生徒でした。

受験する大学はすべて難関私大で、現役合格を目指しており、受験科目は国語・英語・社会で、バランスのとれた学力を持っていました。私は、今までの努力の成果が確実に偏差値に表れていると感心しましたが、褒めることはしませんでした。それどころか、このままでは第一志望校合格が危ういと思ったので、「このままじゃ、第一志望校は無理だ」という厳しい言葉を発しました。

両親からも先生からも勉強のことで叱られた経験がなかったようで、かなりショックを受けた様子だったので、今後の学習について具体的にかつ詳細に相談をして、受験までの学習方針を明確にしました。

その生徒は見事第一志望校に合格しましたが、その報告に来てくれた時、「生まれて初めて勉強のことで、先生から厳しい注意を受けました。しばらくは立ち直ることができませんでしたが、『やるしかない』と気持ちを切り替えて頑張りました」と話してくれました。家庭でも学校でも叱られた経験がなかったのです。「すごいね、優秀だね」と褒められたことしかなかったのです。高校3年生で初めて挫折を味わったのです。

自分の思い描いた通りにいかなかった時に、這い上がろうとする活力が「打たれ強さ」です。立ち止まらなければいい、諦めなければいい、もう一回やればいい、叱られても褒められてもやることは同じだと思えばいい。努力を続けていると、こんな「打たれ強さ」が自分の心の中に必ず育ってきます。皆さんの心の中にも・・・。

 

「言葉を選ぶ」

私は海辺まで歩いて30分くらいの所に住んでいます。お休みの日に、エル(トイプードル)と海岸まで散歩することもあります。最寄り駅も海の近くなので、風向きによっては、ホームに降り立った時旅行に来たような錯覚を覚えることもあります。

ある日、電車から一緒に降りた中学生くらいの女の子が、「海のにおいだ」という言葉を発しました。その時私は、「この子はどちらの漢字を使うのだろう?」と興味を抱きました。「臭い」なのか「匂い」なのか。前者であればマイナスの感覚が、後者であればプラスの感覚が心に生まれていることになります。

もし、「海のいい匂いがするね」という夢のある発言であるならば、もっといろいろな表現が考えられます。「海の香りがする」「潮の香りがする」「潮の香だ」「海風を感じる」「海風の香りがする」「海風がそよいでいる」「磯の香りがする」

「海のにおい」を「海の香り」に変えるだけで、心の情景は一変します。家族旅行で訪れたコバルトブルーの海の色が蘇るかもしれません。その時の母親の幸せ一杯の笑顔を思い出すかもしれません。自分が描いた絵日記の色づかいを懐かしく思うかもしれません。

今はほとんど使われなくなってしまいましたが、「﨟長ける(ろうたける)」という言葉があります。「洗練されて、美しくなる、品がある」という意味です。作家の下重暁子さんは「自分の考えや意見を何度も練って、研ぎ澄ましていく、そういう作業を経てこそ品は出てくるもので、言葉を選ばずに発言するだけでは空疎でうるさいだけだ」と仰っています。

思考を練って、研ぎ澄ましていくには言葉が必要です。「におい」を使って考えるのか、「香り」を使って考えるのか。多くの語彙を持ち、使う前に言葉を選ぶ。その地道な積み重ねが未来の自分の「品」を創っていきます。読書の秋です。

「弱い自分を認める強さ」

小学校6年生の皆さん、中学入試が近づいてきました。今、皆さんの心の中には、「心配という雲」が湧き上がっているのかもしれません。その雲は皆さんの心に、雨を降らせるかもしれませんし、風を吹かせるかもしれません。雨で心が憂うつになったり、風で目を開けられなくなったりすることがあるかもしれません。

雨も風も、自分の力ではどうにもならない現象です。でも、下を向いたりしないでください。お母さんやお父さんが、雨に濡れないように大きな傘をさしてくれています。塾の先生や習い事の先生が、風によろめかないように壁になってくれています。皆さんは一人ではありません。兄弟姉妹も応援してくれています。おばあちゃん、おじいちゃんも見守ってくれています。心配な時は自分以外の人に頼ってもいいのです。助けてもらっていいのです。ちっとも恥ずかしいことはありません。

でも、自分で自分を励ますことを忘れないでくださいね。傘の下でも、壁のそばでも、上を向きましょう。鋭いまなざしを向けて、雲の上にある陽光を心の眼でしっかりととらえましょう。「心配という雲」を吹き飛ばそうとしなくていいのです。その上にある「希望という光」を感じるだけでいいのです。

そのためには、弱い自分を否定するのではなく、弱い自分を認めることが必要です。「心配になってもいいんだ、それが普通の12歳なんだ」と思うことが大切です。ありのままの自分を受け入れて、その自分ができることをやり抜きましょう。中学受験を通じて、「弱い自分を認める強さ」が身についてきます。

「人とつながる」

先日、深川江戸資料館で、深川母の会主催の「深川親と子の集い 第30回中学生の意見発表会」が行われ、地元の中学校11校の代表が「SNS」についての意見を発表しました。他校は3年生の生徒会会長や副会長が参加していましたが、本校からは2年生が参加しました。多くの先輩たちが堂々と意見を発表する中、緊張しながらも落ち着いてしっかりと自分のメッセージを聴衆に伝えていました。

SNSの利点や危険性、コミュニケーション手段としての長所・短所、使う時のルールやマナーについて、さまざまな意見が発表されました。本校の生徒は「自分次第でSNSは変わる」と題して、「使う人が笑顔になる」という意見を主張していました。

これからの社会は、人工知能社会、ビッグデータ社会、GAFA(Google・Amazon・Facebook・Apple)社会などとも言われています。中学生は、日々進化するSNSをスポンジのように吸収し利用する柔軟性を持っていると同時に、その危険性も理解しています。また、SNS依存症に対しても自覚を持って自制しようとしています。

「自分次第で」というテーマには、使う人の「主体性」が表れていました。そして、「笑顔」というメッセージには、「人と人とのつながり」を大切にする自分軸が表れていました。「SNSに振り回されずに、人が幸せになるためにSNSを活用するんだ」という力強い意志が聴衆に伝わった発表でした。

「不完全なものの魅力」

勉強をしていて「よし、完璧だ」と思える時があります。学習範囲が狭かったり、内容が易しい時には、やり残すことなく100%の学びを実践することができます。しかし、範囲が広く学習量が多くなったり、内容が難しくなったりすると、完璧にやり遂げることはなかなか困難です。そして、そんな時でも、誠実な人は「やらなければ」と思ってしまいます。

私たちの頭は、完成していないことに強い記憶や印象を残してしまうものだそうです。心理学用語ではこれを「ツァイガルニック効果」と言います。不完全になってしまったことを完成させたいと思う気持ちが強くなるということです。

勉強が思うように進まない時には、この「ツァイガルニック効果」をうまく利用してみたらどうでしょう。どんな勉強でも、まずは全力で取り組んでみましょう。そして、「これが終わったら休憩しよう」と決めずに、やっている途中で休憩をとるのです。つまり、「やり残し感」を抱いたまま休息するのです。そうすれば、「完成させたい」という気持ちを持って、勉強を再開することができます。だらだらと休憩を長引かせることもなくなるでしょう。

私たちは完全なものを求める傾向があります。しかし、その傾向は完成したものだけを評価するのではなく、スペイン、バルセロナのサグラダ・ファミリアのような、完成に向かう姿を求めることにも通ずるのかもしれません。「まだ見ぬ完成形を求める気持ち」、やり残し感が後押しする「前に向かおうという意志」、この先どうなるのだろうという「強い興味・関心」・・・。不完全なものには、背中を押して前へ一歩踏み出させてくれる不思議な魅力がたくさんあります。

自ら中途半端な状態を作りだして、やり残し感を大きく膨らませて、身体をゆっくりと休ませ、「完成させたい」という強い意志の力を借りて、勉強楽しんでみてください。

「心のそよぎ」

先月、中学1年生を対象に「詩を通して学ぶ言葉の大切さ」という国語の授業が行われました。夏休み前から6回連続で計画された、語彙や表現方法の幅を広げて豊かな文章表現力を身につけることを目的とした授業です。

詩集の校正刷りを読み、理由を添えて気に入った作品を3編選ぶ授業から始まり、テーマを決めて詩を創作し、学年全員の作品を読んで理由を記して気に入った作品を選び、良いと思った言葉や表現を抜き出す授業へと結びつけ、その理由をグループで話し合って発表する授業へと展開していきました。

当日は詩人をお招きし、生徒の作品から素晴らしい表現を選んで発表していただきました。「自分が力を入れた部分だ」と嬉しく思った生徒や、「何気なく書いた表現を選んでくれた」と驚く生徒もいました。最後の講評では、「良い詩とは、読む人一人ひとりがそれぞれ違った気づきや発見を生み出すものだ」というお言葉をいただき、生徒たちは自分の作品や自分の表現、そして自分の感性に自信を持ちました。

私は詩人の方の「詩作とは、今ここにいて、今心の中に生まれたものを文字にする行為で、読み手の心がそよぐことが大切だ」という言葉に心を打たれました。中学校・高等学校の6年間は単なる人材を育てる期間ではなく、人が育つ期間であると私は言い続けてきました。それをもう少し深く考えると「心が育つ」ということになります。「そよぐ」という言葉は「少しの風に揺れたり、かすかに音をたてたりする」という意味です。話された時でも書かれた時でも、その言葉によって心は、音をたてたり揺れたりして育ちます。そのような「そよぎ」が心の中に繰り返し生まれたら、子どもたちの人生は豊かで多彩なものになります。

「心のそよぎ」・・・。大切にしたい言葉です。

「月映え」

今月24日は「中秋の名月」でした。天気予報では夕方の短時間、月が顔を出すということでしたが、幸いにも夜まで長い時間、見ることができました。月見だんごを傍らに置きながら、秋のお月見を楽しんだご家庭もあったかと思います。

月にはいろいろな言葉があります。「月の雫(露、又は真珠のこと)」「月の鏡(月を映す池の水のこと)」「月に磨く(月光で景色がより美しく見える様子)」など、ロマンティックな表現を月は持っています。月の光に照らされて、より一層美しさが増すことを「月映え」と言います。照らし出された風景だけでなく、月を眺める人も、その人の心も、月映えするのです。

子どもたちはいつも光を浴びています。お母さんやお父さんが発する光です。「幸せになってほしい」という強い光です。それは、誕生の時からずっと降り注がれてきました。それは、今も降り注がれていて、これからも降り注がれていく、とぎれることのない透きとおった光です。夜は月光として、そして日中は陽光として、子どもの心に届いています。

子どもの心の美しさは、月光によってさらにその深みを増します。陽光によってさらにその明るさを増します。お母さま、お父さま、どうぞそのまま光を発し続けてください。