「オリジナル花火」

ある書籍によると、先生という仕事は、生徒の思考を広げることに挑戦し、広げようとしている生徒を励まし、挑戦してうまくいかなくてもやり直すことのできる安全な場所を創ってあげることだと言われています。この主張は、先生を「大人」に、生徒を「子ども」に変えても成り立ちます。学校外でも大人なら、子どもの思考を広げてあげて、励まして、やり直すことができる場を提供してあげることができるからです。

他人に頼って学習に取り組むことによって、思考が広がるとは思えません。自らの意志で学び、その学び自体に楽しみを見いだす域に達して初めて、思考の広がりが実現するのです。そのために、大人は子どもの情熱や興味・関心を大切に受けとめてあげるとともに、将来の夢や希望を追いかけるために必要な知識・スキルなどを子どもに身につけてもらう必要があります。

「導火線に火をつけるようなものだ」と言った人がいます。後は自然に燃え続けて、花火が打ち上がるからです。確かに、導火線に火をつけてもらうことは楽で安全かもしれませんが、子どもにとっては、自ら導火線を創り、自分で火をつける方が楽しいのではないでしょうか。途中で消えてしまわないようなしっかりとした導火線を持つ花火を創り、火をつけて空に花火を打ち上げることほど、達成感を感じる瞬間はないと思います。自分だけのオリジナル花火を、何発も何発も打ち上げましょう。

「バトン」

バトンを確実にもらう。バトンをしっかり握って走る。バトンをスムーズに渡す。リレーで使われるバトンには、さまざまな思いと「つなぐ」という究極の目的が込められています。

先日、あるお父さまが、「自分の娘にきちんとバトンを渡したい」と力強く仰いました。その言葉には、自分が親から受け取った素晴らしいバトンを、自分の娘にも引き継がせたいという思いと、自分が生きてきた時代とは違う21世紀を生き抜いていけるような力を身につけてほしいという願いが感じられました。

小学生はもちろん、中学生や高校生も、このような保護者の思いや願いを一身に受けていることでしょう。その思いや願いは、「中学受験で良い結果を出してほしい」「いきたい大学に合格してほしい」という単純な希望ではありません。「中学校に入学して、勉強だけでなく好きな部活動で全力を尽くし、行事や委員会活動に楽しく取り組み、高校ではより深く学んで、自分の将来を見据えた進学先を見つけて大学などに入学し、好きな学問に全力投球して、自分の強みを生かしながら働き、キャリアをデザインしつつ充実した日々を過ごしてほしい」という、心の叫びと言ってもよいでしょう。

受験生の皆さん、中学受験でも高校受験でも大学受験でも本質は同じです。自分が定めた目標に向かって一歩一歩着実に進んでいけばいいのです。小学生の自分から確実にもらったバトンを、中学生の自分がしっかりと握り、高校生の自分にスムーズに渡していけばいいのです。自分のバトンを、自分の持ちやすい形にしながら、未来の自分につないであげましょう。

「紫陽花」

紫陽花の花言葉は「移り気」です。時期によってさまざまな色の花が咲くからだそうです。紫陽花寺、紫陽花電車など、多くの人をいざなう魅力的な花の割には、マイナスイメージの花言葉が与えられています。

考えてみると、私たちの心も移り気な面を持っています。「これにしよう」と決心しても、「あっちの方がよかったかな」と後悔することがよくあります。集中しようと思っているのに、気がつくと他のことに意識が引っ張られて、注意力散漫になる時もあります。その場その場で「色が変わる自分」に気づき、反省することもしばしばです。

先日、小学生の保護者の方とお話している時に、お母さまの力は偉大だなと思いました。「子どもへの愛情、明るさ、懐の深さ」などの子育てに関する軸が太いのです。もちろん、母親であっても一人の人間として、さまざまな場面で自分の「移り気」を自覚することはあると思います。しかし、子育てに関しては、振り子のように揺れ動くことなく、しっかりと根を張って、自らを律することを前提にして、子どもに接していると感じました。

移り気な紫陽花が、水滴に潤いを得て咲き誇っています。その、さまざまな色に目を向けて、梅雨を楽しむのも一興です。ちなみに、青い紫陽花お花言葉は「辛抱強い愛情」だそうです。ピンクの紫陽花の花言葉は「元気な女性」だそうです。白い紫陽花の花言葉は「寛容」だそうです。移り気かもしれないお母さまの心の中には、青、ピンク、白の紫陽花が勢いよく咲いているのです。

【心の中の宝物」

先日、「卒業生を囲んで」という行事が行われました。大学在学中の先輩たちが後輩たちに、学習方法・生活習慣・入試体験・キャリアデザイン・大学生活などを、自分の言葉で語りかける講演会です。4年生(高校1年生)に向けて2人の卒業生が、大学受験について次のように話してくれました。

「受験をするということは、頑張って合格して入学したという充実感をもたらしてくれる」「受験をするということは、特別な努力をやり遂げたという自信を与えてくれる」

2人とも一般受験で大学に合格した卒業生です。平日は5時間以上、休日は10時間以上の勉強を継続して、確実な学力を身に付けていったそうです。もちろん、「大学でこんなことを学びたい」という行動の原動力はありましたので、それが堅実な学習習慣へと繋がり、学力の伸長となって表れ、合格へと結びついたことは確かです。

2人が大学受験で得たものは学力だけではありませんでした。それは、自分でも見ることのできない「心の中に生まれたもの」でした。定員があるという意味では、受験は競争です。競争に勝つために努力するのは、受験生全員に共通していることです。しかし、合格した時、つまり競争に勝った時にどのように考えるかは、人それぞれです。この2人は、合格したという事実を評価するにとどまらず、合格までの自分の生き方に焦点を当てて、「充実感や自信」という宝物という存在を心の中に見つけたのです。

「白い路」

6月7日(金)に体育祭が行われました。令和初の体育祭、創立110周年を記念する体育祭です。生徒実行委員長・副委員長も、特別な年の体育祭という自覚を持って運営にあたっていました。昨年10月の選挙で当選して以来、8ヶ月にわたって体育祭を企画し続けてきた高校3年生2名です。

本校の体育祭は「縦割りチーム」で行われます。中学1年生から高校3年生までが、一致団結して競技、演技、応援合戦に全力を尽くします。今年のテーマは「一新紀元~“新しい”を切り開け!」でした。高校3年生からは行き届いた後輩指導が施され、後輩たちは上級生を見て、自分の行く姿を想像していました。まるで、下級生から上級生へと続く「kawehewehe(カヴェヘヴェヘ)」のような「路」があるかのように感じました。

カヴェヘヴェヘは、ハワイのワイキキを代表する聖地で、マナ(霊力、気)の宿る癒やしの海と言われています。マロワ山の地下水が海底から噴き出しているので海藻が生えず、白い路が沖に続いているように見えるビーチです。身も心も浄化できると言われている、多くの人々が訪れる場所です。

体育祭は確かに「パワースポット」です。チームで動いている時は、自分の限界を超えて行動できることもあります。先輩がお手本を示してくれると、勇気を持って一歩踏み出すこともできます。後輩に頼られると、今までより大きな責任感が生まれることもあります。今日の自分から明日の自分へと続く、一人ひとりの「カヴェヘヴェヘ」が心の中に生まれた1日でした。

「巧偽拙誠」

本校は5月16日に、創立110周年を迎えました。明治42(1909)年、「江東の地に女子教育の灯をともす」という創立者の理念とともに開校し、江東区唯一の女子校として地元の皆さまに見守られて、明治、大正、昭和、平成を経て令和を迎えました。110年間、地域の皆さまに支えていただいていることに、私たちは深い感謝の念を抱いています。

先日は、森下文化センター(江東区施設)のご厚意で、展示「中村学園110年の歩み~不死鳥のように~」とトークショー「110年の宝石箱をあけて」を開催させていただき、1週間で350名ほどの方々にご来場いただきました。また、猿江恩賜公園で行われた江東こどもまつりでは、吹奏楽部が「親子で楽しむ音楽会」を行い、ボランティアの生徒27名がさまざまなイベントのお手伝いをさせていただきました。通常の学校生活においても、放課後に部活動単位で、校舎前面にある清澄公園の清掃をすることもあります。また、1ヶ月に1回、おやじの会(在校生のお父さま方の会)の皆さまが、学校周辺の清掃を広範囲にわたってしてくれています。

地元の方々が温かいまなざしを持って生徒を見守ってくださること、生徒・教職員がそのことに対してご恩返しをしようという意識を持って行動していることは、110年という長い月日の中で育まれた、偽りのない誠意と真心の表れであると感じています。世の中がグローバル化すればするほど、身近な人々と正直に繋がる心が大切だと信じています。

「智力の芽」

先週末まで、卒業生5名が教育実習を行っていました。保健体育・養護・国語・音楽・美術と、学問分野は多岐にわたっていましたが、それぞれが中学・高校6年間で、自分のキャリアをデザインし、「30歳からの自分」をイメージして選んだ結果です。

初日の授業開始前に集会を行い、一人ひとり、全校生徒に挨拶をしてもらいました。「看護や医療に興味のある人は、どんどん質問に来てください」「皆さんとの授業を楽しみにしています」「校内で出会った時には、ぜひ声をかけてください」「いろいろな場面で皆さんと会話したいです」など、緊張しながらも自分の希望をしっかりと述べていました。

ある教育実習生は、「作品というのは、作ればいいという単純なものではありません。自分が何かを感じ、それを思考し、文字化して、他の人に伝わるように思いを込めて創りあげていくものなのです」と語っていました。後輩たちに、切れ味の鋭いメッセージが伝えられた瞬間でした。別の教育実習生は授業の中で、「過去に辛い時期がありましたが、『あの時辛い思いをしてよかった』とはまだ思えません。でも、『辛い思いをしている人の支えになろう』と思えるようにはなっています」と心の内を話してくれました。生徒の心を揺さぶる深く、温かいメッセージでした。

自分と同じ学校で過ごした先輩たちの言葉は、素直に生徒に届きます。そして、生徒の心の中には新しい価値観が生まれ、思考が進化していきます。学力とは異なる「智力」の種が芽を出すのです。後輩たちに貴重なプレゼントを贈ってくれた先輩たちでした。

「純粋な織物」

令和になって、半月が経とうとしています。連休中に改元という非日常を体験した私たちは、いつも通りの生活に戻っているかのようです。

担任の先生たちは連休明けの7日、「みんなに早く会いたかったよ」という気持ちで、生徒の待つ教室に向かいました。もちろん、「休みが終わってしまった」という気持ちがなかったわけではありません。しかし、不思議なもので、クラスという空間はそんな担任の心を包み込んで変化させてしまうのです。

「おはようございます」という元気な声、友達と楽しそうに会話している笑顔、連休モードから切り替わっていないアンニュイな仕草、連休前とまったく変わらないまなざし、長過ぎた休みが終わって生き生きしている表情。こんな空間に足を踏み入れると、自分のクラスの生徒たちが創造する「令和の織物」に、心が自然と惹きつけられていきます。同級生との「ヨコ糸」だけにとどまらず、先輩・後輩との「タテ糸」を紡いでいく姿に、頼もしささえ感じてしまうのです。そして、このヨコ糸とタテ糸に、担任である自分の「ナナメの糸」をどのように絡ませていくのか思案します。

ある生徒は新元号が発表された時、“Order & Peace”ではなく、綺麗だというイメージを感じたそうです。私たちは生徒の織りなすヨコ糸とタテ糸に素直な自然美を感じます。その美しさを際立たせるように、担任としてのナナメの糸を添えるのです。生徒が創り出す「純粋な令和の織物」に、これからの社会に必要な“Beautiful Harmony”を感じていきたいものです。

「空気」

いよいよ平成結びの日が近づいてきました。先日、ある方から、「どうしましょう?平成が終わってしまいます」という文で始まるメールをいただきました。「何かあったのかな」と思いながら読み進めていくと、「日々多忙で平成から令和への節目を、自分なりにしっかりと捉えることができない」という意味だと分かりました。

岐阜県関市に平成(へなり)という地区があります。全国唯一元号とまったく同じ漢字を使っている地区です。そこで今日から、缶詰の販売があるそうです。「平成の空気」という缶詰が記念グッズとして売り出されます。缶の中には、平成地区の空気と平成の五円玉が入っています。平成の空気を保存して、令和への良いご縁があるようにという願いが込められているそうです。

メールを送ってくれた方は、「気がついたら令和だったということがないように、平成という時代を噛みしめる時間を、一日のうちわずかでも意識したい」と締めくくっていらしゃいました。自分の生活とは直接関係のない新元号への移行を、自分の中で大切な転換点として位置づけることができる人なのだと感じました。

「人々が美しい心を寄せ合う中で、和を保っていこう」という願いが込められた新元号「令和」です。五月一日を迎えるにあたって、平成という時代に思いを馳せることは、自らの人生を振り返ることでもあります。他者と協働できる自分を創るきっかけにもなります。心の中に「平成の空気」を持っている人として、令和元年の初日を迎えたいものです。

「学びを楽しむ」

「学びたいことを学ぶことが楽しい」と、ある生徒が微笑みながら話してくれました。なぜ楽しいのか?興味を持っている科目なのかもしれません。将来の夢に関係している科目なのかもしれません。成績の良い科目なのかもしれません。いずれにしても、この生徒の心の中には「学ぶ喜び」が存在しています。

「分からないことが理解できるようになることが楽しい」と、別の生徒がはにかみながら話してくれました。興味を持っていなくても、将来の夢と無関係でも、不得意であっても、この生徒の心の中にも「学ぶ喜び」が存在しています。

勉強と楽しさを結びつけるのは、難しいことかもしれません。試験のために勉強しているという意識を強く持っている場合はなおさらです。義務的に勉強している人、強制的に勉強させられている人、嫌々勉強している人には、なかなか学ぶ喜びが生まれません。

しかし、どんな状況であろうと、どんな気持ちであろうと、勉強を続けていると必ず「力」が身についてきます。力がついてくると意欲が出てきます。この意欲は意外と長持ちします。なぜなら、人は、教えられるより自ら学ぶことを好むからです。ゲーテは「青年は教えられるより、刺激されることを欲する」と言っています。主体的な学びにはワクワク感があります。この刺激が心に芽生えた瞬間を大切にして、学ぶ喜びを大きく、大きくしていきましょう。