「後と先」

8月26日(日)に部活動体験として、「オープンキャンパス夏フェス」が開催されます。中学新人選ダブルス予選ブロック優勝のテニス部、オリジナルうちわを創る書道部、キャンドルを創る理科部、USA大会中学生部門第2位のバトン部など、24の部活が小学生の皆さんと時を過ごします。中学生・高校生のお姉さんたちが、小学生の皆さんの知的好奇心を満たしてくれますので、期待していてください。

運動部も文化部も、この夏休みに練習に励んで試合やコンクールなどに臨んでいます。素直な生徒は、自分の技術を伸ばすことができます。自分の持っていないことを練習でどんどん吸収するからです。しかし、ただ単に新しいことを自分の中に取り入れて、それを実践しているだけでは、堅実な成長に留まってしまいます。もちろん、このような積み重ねの伸長は非常に重要です。

勉強でも同じことが言えます。新しいことを着実に吸収して、消化して、土台を創っていくことは重要です。しかし、大きな飛躍をその先に目指すのであれば、「これを暗記した後」「これを解いた先」に思考を巡らすことが大切です。「暗記したことをどのように使うのだろう?どのように他のことと結びつけるのだろう?問題を解いた先にどんな理解が広がるのだろう?」何も考えずにがむしゃらに勉強する自分は素直な自分です。一方、「後」や「先」を考えながら勉強する自分は頼もしい自分です。懐の深い自分です。

勉強を一所懸命している人には、単純な素直さだけでなく、先見性のある素直さや奥深さが備わりつつあります。その頼もしさや懐の深さには計り知れない成長の可能性が含まれています。成長した「後」のさらなる伸長や、成長した「先」の大きな飛躍に思いを馳せながら勉強することは、とっても楽しいことなのです。

「どうせやるなら思いきり」

小学6年生の皆さん、中学入試に向けて一所懸命、自分のやるべきことを実行していますか。「よし、計画通りに頑張るぞ」と強い決意を持って毎日を過ごしている人は、自分を励まして、勉強を続けている自分をもっともっと育ててあげてください。「なかなか計画通りにいかないな、どうしよう」と迷っている人は、まずは三日間、脇目もふらずに勉強してみてください。やる気を出そうと思う前に行動してみるのです。最初は辛いかもしれませんが、「三日間だけだからやってみよう」と我慢してやっているうちに、夢中になっている自分に気づきます。その時の自分の気持ちを大切にしてください。

高校3年生の大学受験生でも同じように苦しむ時があります。また、働いている大人でも「このくらいでいいかな」と挫折する時があります。いくつになっても、「せっかくの機会だから頑張ろう」と積極的に考えて、努力を継続することは難しいのです。そんな時、「やるべきことは自分の気持ちとは関係なく、変わらないんだ」と思える瞬間があります。変わらないのであれば、「どうせやるなら、思いきりやってみるか」と開き直ることができる人がいます。消極的な考え方かもしれませんが、物事のとらえ方を変えて行動してみるという点では積極的です。主体的です。自主的です。

「どうせやるなら、六日間続けてみよう。どうせやるなら、規則正しく生活してみよう。どうせやるなら、得意なところをもっと得意にしてみよう。どうせやるなら、苦手なところの基礎だけでも着実に固めてみよう・・・」

「どうせやるなら思いきり!」この言葉を胸に抱いて、夏休みを過ごしてみるのはどうですか。夏休みが終わった時に、開き直ってやり遂げた自分を、「思いきり」褒めてあげましょう。

「自発的な気づき」

生徒たちはたくさんのライフロール(人生で果たす役割)を抱えて大忙しです。小学生でも多くの役割をこなして生活しています。そんな中でも、ただ行動しているのではなく、いろいろなことを感じています。

サッカーワールドカップのポーランド戦終盤を見て複雑な思いを感じたり、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が2014年12月に打ち上げた「はやぶさ2」の、小惑星「りゅうぐう」到着の知らせを聞いてわくわくしたり、今年は太宰治生誕109年に当たると知って、夏休みに読んでみようと興味を抱いたり・・・。

生徒によってはこの感覚の段階で終わらない場合があります。ポーランド戦に関するさまざまな報道を調べて、自分の立場を明確にしようとする生徒もいます。また、「はやぶさ2」がこれから果たす役割を知って、その難しいミッションに激励の気持ちを抱く生徒もいます。また、太宰治に何となく暗いイメージを持っていたのに、調べていくうちに「太宰治は本当に素直になりたい時に何度でも立ち返ると良かった」という意見に出会い、その意味を自分でも実感してみたいと思う生徒もいます。

「なぜポーランド戦に複雑な思いを感じたのだろう」「なぜ世界がはやぶさ2に注目しているのだろう」「なぜ太宰治が『素直』に結びつくのだろう」という疑問が、生徒の感覚を思考に変えているのです。その広がりの途中で、自発的な気づきが生まれます。そして、その気づきが新しい自分を形づくることになり、周囲に目を向ける余裕を生み出し、世界への優しさを温かいものにしていくのです。生徒のこのような自己深化の過程に関わっていくことに、私たち教師は大きな喜びを感じています。

「前後際断」

先日、「卒業生を囲んで」という行事がありました。大学に進学した卒業生が、高校1年生、高校3年生に自分の高校時代の勉強方法や学習へのモチベーションを生み出す工夫や大学生活について語ってくれる行事です。私も生徒と一緒に卒業生の話を聞きました。高校3年時の後悔をありのまま話して、後輩が同じ間違いをしないようにアドバイスしてくれた卒業生もいました。また、未来について自分の都合のいいように妄想して、懸命な努力を怠っていたことを正直に話してくれた卒業生もいました。

私たちは失敗した時に、諦めたり、悲観したりするだけで行動しないことがあります。また、「なんとかなるさ」と楽観して行動を先送りにすることもあります。どちらも、「今」という時間を精一杯生かしきっていない状態です。過去への後悔を引きずっていたり、まだ見ぬ未来が自分の思い通りになるような錯覚の中に生きている状態です。

こんなことを考えていた時に、新任の先生が「前後際断」という言葉を教えてくれました。過去や未来を断ち切って、「今、ここで」すべきことに集中することで、目の前の課題に一心不乱に取り組むことができる、という意味です。「過去と未来を切り離して現在だけを大切にしなさい」と受け取ることもできますが、過去の後悔や未来への妄想を消し去ることは難しいかもしれません。それならば、「過去から学んで、現在を大切に生きて、未来を築け」と受けとめた上で、「今の自分」を鼓舞して行動した方がいいでしょう。卒業生と新任の先生から、貴重な学びを得た1日でした。

「せいざ」

3週間前から8名の卒業生が教育実習を行っています。中村で6年間過ごした生徒たちが大学進学後、教師というキャリアをデザインして母校に戻って来てくれたことに、大きな喜びを感じています。昨日は、実習の集大成として研究授業が行われました。多くの恩師が参観する中、緊張しながらも一所懸命に授業を進める姿に、私は35年前の自分を重ね合わせ、初心を再確認しました。

文学部中国文学科書道専攻の実習生は、授業の最初に「それではこれから書写の授業を始めます。皆さん『せいざ』してください」と指示を出しました。授業は普通教室で行われていましたので、生徒は全員椅子に座っています。「せいざ」は「正座」ではありません。実習生が求めていたのは、正しい姿勢で座る正座ではなく、正しい姿勢で座ることに加えて、気持ちを落ち着けて静かに座るという意味の「静座」でした。

中村の書写の授業は伝統的に静座から始まります。点画の把握や筆使いなど技能・技術の修得を目指すと同時に、文字に表れる心を整えることを目指します。成果主義、効率主義の競争社会において、自分を見失わずに孤高を保つとともに、他者への柔和なまなざしを堅持し、人との繋がりを希求し続ける心を整える。「静座」が日常の中に根づき、当たり前のことになった生徒たちは、この実習生のような、温かみのあるクリスタルのような心を持った人になるでしょう。

「非凡」

「喜んでいいのにそれほど喜ばない、心配しなくていいのに必要以上に心配してしまう」

人生にはこんな場面が少なからずあります。喜びに鈍感で憂いに敏感であると言ってもいいかもしれません。「一喜一憂」という言葉通りに、状況の変化があるごとに喜んだり心配したりすればいいのですが、なかなかそうはいきません。大きくないと喜びと認められないストイックな自分がいたり、小さい憂いも大きく捉えてしまうデリケートな自分がいたりします。

何回失敗しても負けないで、そのたびに立ち直って頑張るという意味で「七転八起」という言葉が使われます。この言葉に圧倒されてしまう人もいるでしょう。「挫折する度に困難に立ち向かって乗り越えていくなんて私には無理だ」と諦めてしまう人もいるかもしれません。

「一喜一憂」も「七転八起」も難しいと言うのであれば、いっそのこと「七転八倒」はどうでしょう。もがき苦しむばかりで辛いかもしれませんが、喜ぶことも起き上がることも求められていない分、変なプレッシャーを感じる必要はありません。転んで、倒れて、苦労しながらも、できることから地道にこなしていく。当たり前のことを当たり前に実行していく。すべきことに一つずつ挑戦していく。

凡事を積み重ねていくことが「非凡」を生み出すのですから。

「学楽自琢」

新年度を迎え、1ヶ月が経ちました。連休前の4日間、中学1年生は、国語・数学・英語に特化した「授業オリエンテーション」を行いました。目的は、家庭学習方法の徹底です。授業は学校の教室だけで完結するものではありません。「予習・授業・復習」、つまり、「家庭学習・学校授業・家庭学習」があって初めて成り立つものです。「自学自習・協働学習・自学自習」と言ってもいいでしょう。そこで、家庭学習(自学自習)の方法を徹底するためのオリエンテーションを毎年行い、5月からの学びの充実を図っています。

「空腹の人に魚を与えてはいけない。魚の釣り方を教えてあげるべきだ」という言葉があります。自立の重要性を説く教えです。しかし、私はこの考え方を全面的に支持するつもりはありません。魚を与えるのは、すぐに答えを教えることと同じです。釣り方を教えるのは、解法を教えるパターン学習でしかありません。私が求めるのは、「魚釣りを好きになってもらう」という段階です。つまり、「自分から進んで学ぶ」という主体性と自律性を持ってもらう段階です。自分で試行錯誤しながら学ぶうちに、その教科が好きになってくる、学ぶこと自体が好きになってくる。その域に達した時が、大きな自己伸長の始まりです。

小学生・中学生・高校生たちが、、学ぶ楽しみを自ら見出して自分を磨いていく。その姿は、春の若葉のような清々しさと勢いを感じさせるものです。

「ダイバーCity中村」

春の花の香り、夏の太陽のきらめき、秋の葉の彩り、冬の純白。4月から新年度が始まる今、平成30年度の1年に思いを馳せてみました。しかし、同じ四季であるのに、春の落ち着かない拡散感、夏の厳しい暑さ、秋のもの悲しさ、冬の厳寒の息苦しさ、のように感じる人もいるかもしれません。同じ場所で同じ時を過ごしている人々が、同じように感じる必然性はありません。春を「ほのぼの」と表現する人や、「不安定」と表現する人がいる。冬を「透き通っている」と表現する人や、「閉ざされている」と表現する人がいる。

世界には独自の文化を持つ人々がいます。日本にはさまざまな地域文化を持つ人々がいます。東京には種々雑多な考え方を持つ人々がいます。清澄白河には新旧入り混じった慣習を持つ人々がいます。そして、中村にもいろいろな人々がいます。多様な価値観を持った生徒が集まるCity、それが中村中学校・高等学校です。

今年、創立109年目を迎える本校は「ダイバーCity中村」を追求します。多様性に溢れた街で、より多くの人と繋がり、知の融合が起こる街、それが中村です。その中で、ぶつかり合いながら、入り混じりながら、否定したり認め合いながら、一人ひとりが新しい自分を発見していく。このプロセスこそが、一人ひとりの四季の受けとめ方を深化させていくと信じています。

「真実」

勉強をしていると、自分の弱い部分を意識することがあります。「計画通りにいかなかった」、「また三日坊主になってしまった」、「知らないうちに居眠りしてしまった」、「問題が難しくてすぐに諦めてしまった」。こんなことが続くと、自分の至らない点ばかりに目がいってしまうことがあります。

どんな人でも、自分の未熟な部分に向き合うことは辛いことです。現実を突きつけられて何とも思わない人はいません。呼吸のできない海に潜っていくような苦しさがあるかもしれません。そんな苦難からは逃げ出したいと思うのが自然な感情です。

しかし、短所ばかりに目を向ける必要はありません。私たちには長所もあります。素晴らしい部分も改善すべき部分も、両方持っているのが私たちなのです。海に潜らなくてもいいのです。地上で水平に進んで、自分の幅を広げ奥行きを増していくことでも、短所は改善され長所は増えていきます。水平の歩みには海底に潜るような息苦しさはありません。また、ちょっと元気のある時なら、丘に登ってみるのも一案です。登っている時には少し苦しいかもしれませんが、見晴らしの良い場所に辿り着いたら深呼吸できる爽快感を得ることができます。その爽快感は、短所の克服や長所の更なる伸長がもたらすものです。

真実は一つです。「どんな方法でも、努力すれば必ず成長する」。

「トランジション」

高等学校の卒業証書授与式が近づいてきました。あと8日で、6年間毎日のように校内で顔を合わせていた高校3年の生徒たちがいなくなってしまいます。「巣立ち」「門出」「旅立ち」。卒業は、いろいろな言葉で形容されます。私は今、一種の欠乏感に包まれ始めていますが、その感覚の深さは学年の先生方の比ではありません。「笑顔で送り出したい、でも、巣立ってほしくない」。卒業式の準備をしている時、担任の先生方の心にはこのような葛藤があります。生徒との結びつきが強い、中村ならではの心情です。

巣立っていく生徒たちは、「生徒」から「卒業生」に立場が変わります。そのトランジション(節目)に際して、寂しさを感じる人もいるでしょう。卒業したくないと思う人もいるでしょう。しかし、人生はトランジションの連続とも言えます。「何かが終わり、中立の状態を経て、何かが始まる」。終わった時の気持ちをニュートラルにする、そして、次のステップへの強い気持ちを創り上げていく。どんな節目であっても、いくつ節目があっても、それを乗り越えていく力が、6年生には身についていると私は信じています。

生徒にとって中村は「学校」です。そして、卒業生にとって中村は「母校」です。単なる出身校ではありません。109年間に亘って、女性である先輩たちが創り上げてきた母校なのです。時には、「母港」として位置づけてくれても大歓迎です。