「弱い自分を認める強さ」

小学校6年生の皆さん、中学入試が近づいてきました。今、皆さんの心の中には、「心配という雲」が湧き上がっているのかもしれません。その雲は皆さんの心に、雨を降らせるかもしれませんし、風を吹かせるかもしれません。雨で心が憂うつになったり、風で目を開けられなくなったりすることがあるかもしれません。

雨も風も、自分の力ではどうにもならない現象です。でも、下を向いたりしないでください。お母さんやお父さんが、雨に濡れないように大きな傘をさしてくれています。塾の先生や習い事の先生が、風によろめかないように壁になってくれています。皆さんは一人ではありません。兄弟姉妹も応援してくれています。おばあちゃん、おじいちゃんも見守ってくれています。心配な時は自分以外の人に頼ってもいいのです。助けてもらっていいのです。ちっとも恥ずかしいことはありません。

でも、自分で自分を励ますことを忘れないでくださいね。傘の下でも、壁のそばでも、上を向きましょう。鋭いまなざしを向けて、雲の上にある陽光を心の眼でしっかりととらえましょう。「心配という雲」を吹き飛ばそうとしなくていいのです。その上にある「希望という光」を感じるだけでいいのです。

そのためには、弱い自分を否定するのではなく、弱い自分を認めることが必要です。「心配になってもいいんだ、それが普通の12歳なんだ」と思うことが大切です。ありのままの自分を受け入れて、その自分ができることをやり抜きましょう。中学受験を通じて、「弱い自分を認める強さ」が身についてきます。

「人とつながる」

先日、深川江戸資料館で、深川母の会主催の「深川親と子の集い 第30回中学生の意見発表会」が行われ、地元の中学校11校の代表が「SNS」についての意見を発表しました。他校は3年生の生徒会会長や副会長が参加していましたが、本校からは2年生が参加しました。多くの先輩たちが堂々と意見を発表する中、緊張しながらも落ち着いてしっかりと自分のメッセージを聴衆に伝えていました。

SNSの利点や危険性、コミュニケーション手段としての長所・短所、使う時のルールやマナーについて、さまざまな意見が発表されました。本校の生徒は「自分次第でSNSは変わる」と題して、「使う人が笑顔になる」という意見を主張していました。

これからの社会は、人工知能社会、ビッグデータ社会、GAFA(Google・Amazon・Facebook・Apple)社会などとも言われています。中学生は、日々進化するSNSをスポンジのように吸収し利用する柔軟性を持っていると同時に、その危険性も理解しています。また、SNS依存症に対しても自覚を持って自制しようとしています。

「自分次第で」というテーマには、使う人の「主体性」が表れていました。そして、「笑顔」というメッセージには、「人と人とのつながり」を大切にする自分軸が表れていました。「SNSに振り回されずに、人が幸せになるためにSNSを活用するんだ」という力強い意志が聴衆に伝わった発表でした。

「不完全なものの魅力」

勉強をしていて「よし、完璧だ」と思える時があります。学習範囲が狭かったり、内容が易しい時には、やり残すことなく100%の学びを実践することができます。しかし、範囲が広く学習量が多くなったり、内容が難しくなったりすると、完璧にやり遂げることはなかなか困難です。そして、そんな時でも、誠実な人は「やらなければ」と思ってしまいます。

私たちの頭は、完成していないことに強い記憶や印象を残してしまうものだそうです。心理学用語ではこれを「ツァイガルニック効果」と言います。不完全になってしまったことを完成させたいと思う気持ちが強くなるということです。

勉強が思うように進まない時には、この「ツァイガルニック効果」をうまく利用してみたらどうでしょう。どんな勉強でも、まずは全力で取り組んでみましょう。そして、「これが終わったら休憩しよう」と決めずに、やっている途中で休憩をとるのです。つまり、「やり残し感」を抱いたまま休息するのです。そうすれば、「完成させたい」という気持ちを持って、勉強を再開することができます。だらだらと休憩を長引かせることもなくなるでしょう。

私たちは完全なものを求める傾向があります。しかし、その傾向は完成したものだけを評価するのではなく、スペイン、バルセロナのサグラダ・ファミリアのような、完成に向かう姿を求めることにも通ずるのかもしれません。「まだ見ぬ完成形を求める気持ち」、やり残し感が後押しする「前に向かおうという意志」、この先どうなるのだろうという「強い興味・関心」・・・。不完全なものには、背中を押して前へ一歩踏み出させてくれる不思議な魅力がたくさんあります。

自ら中途半端な状態を作りだして、やり残し感を大きく膨らませて、身体をゆっくりと休ませ、「完成させたい」という強い意志の力を借りて、勉強楽しんでみてください。

「心のそよぎ」

先月、中学1年生を対象に「詩を通して学ぶ言葉の大切さ」という国語の授業が行われました。夏休み前から6回連続で計画された、語彙や表現方法の幅を広げて豊かな文章表現力を身につけることを目的とした授業です。

詩集の校正刷りを読み、理由を添えて気に入った作品を3編選ぶ授業から始まり、テーマを決めて詩を創作し、学年全員の作品を読んで理由を記して気に入った作品を選び、良いと思った言葉や表現を抜き出す授業へと結びつけ、その理由をグループで話し合って発表する授業へと展開していきました。

当日は詩人をお招きし、生徒の作品から素晴らしい表現を選んで発表していただきました。「自分が力を入れた部分だ」と嬉しく思った生徒や、「何気なく書いた表現を選んでくれた」と驚く生徒もいました。最後の講評では、「良い詩とは、読む人一人ひとりがそれぞれ違った気づきや発見を生み出すものだ」というお言葉をいただき、生徒たちは自分の作品や自分の表現、そして自分の感性に自信を持ちました。

私は詩人の方の「詩作とは、今ここにいて、今心の中に生まれたものを文字にする行為で、読み手の心がそよぐことが大切だ」という言葉に心を打たれました。中学校・高等学校の6年間は単なる人材を育てる期間ではなく、人が育つ期間であると私は言い続けてきました。それをもう少し深く考えると「心が育つ」ということになります。「そよぐ」という言葉は「少しの風に揺れたり、かすかに音をたてたりする」という意味です。話された時でも書かれた時でも、その言葉によって心は、音をたてたり揺れたりして育ちます。そのような「そよぎ」が心の中に繰り返し生まれたら、子どもたちの人生は豊かで多彩なものになります。

「心のそよぎ」・・・。大切にしたい言葉です。

「月映え」

今月24日は「中秋の名月」でした。天気予報では夕方の短時間、月が顔を出すということでしたが、幸いにも夜まで長い時間、見ることができました。月見だんごを傍らに置きながら、秋のお月見を楽しんだご家庭もあったかと思います。

月にはいろいろな言葉があります。「月の雫(露、又は真珠のこと)」「月の鏡(月を映す池の水のこと)」「月に磨く(月光で景色がより美しく見える様子)」など、ロマンティックな表現を月は持っています。月の光に照らされて、より一層美しさが増すことを「月映え」と言います。照らし出された風景だけでなく、月を眺める人も、その人の心も、月映えするのです。

子どもたちはいつも光を浴びています。お母さんやお父さんが発する光です。「幸せになってほしい」という強い光です。それは、誕生の時からずっと降り注がれてきました。それは、今も降り注がれていて、これからも降り注がれていく、とぎれることのない透きとおった光です。夜は月光として、そして日中は陽光として、子どもの心に届いています。

子どもの心の美しさは、月光によってさらにその深みを増します。陽光によってさらにその明るさを増します。お母さま、お父さま、どうぞそのまま光を発し続けてください。

「後と先」

8月26日(日)に部活動体験として、「オープンキャンパス夏フェス」が開催されます。中学新人選ダブルス予選ブロック優勝のテニス部、オリジナルうちわを創る書道部、キャンドルを創る理科部、USA大会中学生部門第2位のバトン部など、24の部活が小学生の皆さんと時を過ごします。中学生・高校生のお姉さんたちが、小学生の皆さんの知的好奇心を満たしてくれますので、期待していてください。

運動部も文化部も、この夏休みに練習に励んで試合やコンクールなどに臨んでいます。素直な生徒は、自分の技術を伸ばすことができます。自分の持っていないことを練習でどんどん吸収するからです。しかし、ただ単に新しいことを自分の中に取り入れて、それを実践しているだけでは、堅実な成長に留まってしまいます。もちろん、このような積み重ねの伸長は非常に重要です。

勉強でも同じことが言えます。新しいことを着実に吸収して、消化して、土台を創っていくことは重要です。しかし、大きな飛躍をその先に目指すのであれば、「これを暗記した後」「これを解いた先」に思考を巡らすことが大切です。「暗記したことをどのように使うのだろう?どのように他のことと結びつけるのだろう?問題を解いた先にどんな理解が広がるのだろう?」何も考えずにがむしゃらに勉強する自分は素直な自分です。一方、「後」や「先」を考えながら勉強する自分は頼もしい自分です。懐の深い自分です。

勉強を一所懸命している人には、単純な素直さだけでなく、先見性のある素直さや奥深さが備わりつつあります。その頼もしさや懐の深さには計り知れない成長の可能性が含まれています。成長した「後」のさらなる伸長や、成長した「先」の大きな飛躍に思いを馳せながら勉強することは、とっても楽しいことなのです。

「どうせやるなら思いきり」

小学6年生の皆さん、中学入試に向けて一所懸命、自分のやるべきことを実行していますか。「よし、計画通りに頑張るぞ」と強い決意を持って毎日を過ごしている人は、自分を励まして、勉強を続けている自分をもっともっと育ててあげてください。「なかなか計画通りにいかないな、どうしよう」と迷っている人は、まずは三日間、脇目もふらずに勉強してみてください。やる気を出そうと思う前に行動してみるのです。最初は辛いかもしれませんが、「三日間だけだからやってみよう」と我慢してやっているうちに、夢中になっている自分に気づきます。その時の自分の気持ちを大切にしてください。

高校3年生の大学受験生でも同じように苦しむ時があります。また、働いている大人でも「このくらいでいいかな」と挫折する時があります。いくつになっても、「せっかくの機会だから頑張ろう」と積極的に考えて、努力を継続することは難しいのです。そんな時、「やるべきことは自分の気持ちとは関係なく、変わらないんだ」と思える瞬間があります。変わらないのであれば、「どうせやるなら、思いきりやってみるか」と開き直ることができる人がいます。消極的な考え方かもしれませんが、物事のとらえ方を変えて行動してみるという点では積極的です。主体的です。自主的です。

「どうせやるなら、六日間続けてみよう。どうせやるなら、規則正しく生活してみよう。どうせやるなら、得意なところをもっと得意にしてみよう。どうせやるなら、苦手なところの基礎だけでも着実に固めてみよう・・・」

「どうせやるなら思いきり!」この言葉を胸に抱いて、夏休みを過ごしてみるのはどうですか。夏休みが終わった時に、開き直ってやり遂げた自分を、「思いきり」褒めてあげましょう。

「自発的な気づき」

生徒たちはたくさんのライフロール(人生で果たす役割)を抱えて大忙しです。小学生でも多くの役割をこなして生活しています。そんな中でも、ただ行動しているのではなく、いろいろなことを感じています。

サッカーワールドカップのポーランド戦終盤を見て複雑な思いを感じたり、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が2014年12月に打ち上げた「はやぶさ2」の、小惑星「りゅうぐう」到着の知らせを聞いてわくわくしたり、今年は太宰治生誕109年に当たると知って、夏休みに読んでみようと興味を抱いたり・・・。

生徒によってはこの感覚の段階で終わらない場合があります。ポーランド戦に関するさまざまな報道を調べて、自分の立場を明確にしようとする生徒もいます。また、「はやぶさ2」がこれから果たす役割を知って、その難しいミッションに激励の気持ちを抱く生徒もいます。また、太宰治に何となく暗いイメージを持っていたのに、調べていくうちに「太宰治は本当に素直になりたい時に何度でも立ち返ると良かった」という意見に出会い、その意味を自分でも実感してみたいと思う生徒もいます。

「なぜポーランド戦に複雑な思いを感じたのだろう」「なぜ世界がはやぶさ2に注目しているのだろう」「なぜ太宰治が『素直』に結びつくのだろう」という疑問が、生徒の感覚を思考に変えているのです。その広がりの途中で、自発的な気づきが生まれます。そして、その気づきが新しい自分を形づくることになり、周囲に目を向ける余裕を生み出し、世界への優しさを温かいものにしていくのです。生徒のこのような自己深化の過程に関わっていくことに、私たち教師は大きな喜びを感じています。

「前後際断」

先日、「卒業生を囲んで」という行事がありました。大学に進学した卒業生が、高校1年生、高校3年生に自分の高校時代の勉強方法や学習へのモチベーションを生み出す工夫や大学生活について語ってくれる行事です。私も生徒と一緒に卒業生の話を聞きました。高校3年時の後悔をありのまま話して、後輩が同じ間違いをしないようにアドバイスしてくれた卒業生もいました。また、未来について自分の都合のいいように妄想して、懸命な努力を怠っていたことを正直に話してくれた卒業生もいました。

私たちは失敗した時に、諦めたり、悲観したりするだけで行動しないことがあります。また、「なんとかなるさ」と楽観して行動を先送りにすることもあります。どちらも、「今」という時間を精一杯生かしきっていない状態です。過去への後悔を引きずっていたり、まだ見ぬ未来が自分の思い通りになるような錯覚の中に生きている状態です。

こんなことを考えていた時に、新任の先生が「前後際断」という言葉を教えてくれました。過去や未来を断ち切って、「今、ここで」すべきことに集中することで、目の前の課題に一心不乱に取り組むことができる、という意味です。「過去と未来を切り離して現在だけを大切にしなさい」と受け取ることもできますが、過去の後悔や未来への妄想を消し去ることは難しいかもしれません。それならば、「過去から学んで、現在を大切に生きて、未来を築け」と受けとめた上で、「今の自分」を鼓舞して行動した方がいいでしょう。卒業生と新任の先生から、貴重な学びを得た1日でした。

「せいざ」

3週間前から8名の卒業生が教育実習を行っています。中村で6年間過ごした生徒たちが大学進学後、教師というキャリアをデザインして母校に戻って来てくれたことに、大きな喜びを感じています。昨日は、実習の集大成として研究授業が行われました。多くの恩師が参観する中、緊張しながらも一所懸命に授業を進める姿に、私は35年前の自分を重ね合わせ、初心を再確認しました。

文学部中国文学科書道専攻の実習生は、授業の最初に「それではこれから書写の授業を始めます。皆さん『せいざ』してください」と指示を出しました。授業は普通教室で行われていましたので、生徒は全員椅子に座っています。「せいざ」は「正座」ではありません。実習生が求めていたのは、正しい姿勢で座る正座ではなく、正しい姿勢で座ることに加えて、気持ちを落ち着けて静かに座るという意味の「静座」でした。

中村の書写の授業は伝統的に静座から始まります。点画の把握や筆使いなど技能・技術の修得を目指すと同時に、文字に表れる心を整えることを目指します。成果主義、効率主義の競争社会において、自分を見失わずに孤高を保つとともに、他者への柔和なまなざしを堅持し、人との繋がりを希求し続ける心を整える。「静座」が日常の中に根づき、当たり前のことになった生徒たちは、この実習生のような、温かみのあるクリスタルのような心を持った人になるでしょう。