「自分が変わる~本との出会い」

先月、本校図書委員会から「先生からのLOVE CALL 第26巻」が発行され、生徒全員に配布されました。全教員が選んだ書名とその紹介文が42ページに亘って掲載されている、年1回発行の冊子です。本の面白さを紹介するだけではなく、読書を通じての教員の思考や価値観などが書かれています。私は今年のLOVE CALLに、「動物の権利(デヴィッド・ドゥグラツィア:岩波書店)」を選び、次のような紹介文を書きました。

ペットの幸福は飼い主の気持ちに左右される。ペットの生活は飼い主のライフサイクルや価値観によって決まる。ペットの生命は飼い主の意思に託されている。ペットは飼い主に依存した自己規定を余儀なくされている。

ペットの行動の自由は、人間によって制約されている。昼間はずっと留守番をしていたり、散歩にも短い時間しか連れていってもらえなかったり、遊んでもらえなかったり・・・。また、飼い主が都合のよい時だけ散歩の時間を長くしたり、飼い主の気が向いた時だけおもちゃで遊んであげたりすることもある。しかし、ペットは人間の気まぐれな楽しみのためだけに存在するわけではない。

5年前に我が家にトイプードルの男の子「エル」が来てから、こんなことをぼんやりと考えるようになった。「確かにエルには義務はないが、権利はあるのではないか」「エルに対して自分は、非常に重い責任を負っているのではないか」「エルの基本的なニーズを満たしてあげるために何ができるか」などと考えていた時に、獣医学部に進学を希望している生徒から、「今、『動物の権利』という本を読んでいるのですが、先生にも是非読んでもらいたいです」と言われ、その日のうちに書店に行って購入した。

「動物の権利」には、ペットはもちろん、動物園の動物、工場畜産されている動物、肉食用動物、実験対象にされている動物など、さまざまな動物が持つ権利についての考え方が書かれている。その根底にあるのは、「動物は道徳的地位を持っており、単に人間の利用の対象ではないので、人間は動物を道徳的地位を持つ存在として尊重する態度を涵養する責任を持つ」という主張である。「感覚性を持つ動物は平等な配慮に値する」という主張である。この本を読んだ後にエルと会った時、今までのように「可愛い」とか「癒やされる」とか「留守番で可愛そう」というような感情だけで接していない自分がいた。「ペットを飼うって覚悟が必要で、飼い主である自分が人間として試されているんだな」という価値観が芽生えていた。「権利を持ったエル」に何となく頼もしさを感じて、今までとは違う関係が築かれていく予感がした。

1冊の書籍が、価値観を変えてくれました。思考を広げてくれました。動物へのまなざしから甘さを取り除いてくれました。そして、動物を飼っている者としての行動を変えてくれました。あの時、あの場所で、あの生徒とすれ違い、「勉強の調子はどう?」と声をかけていなかったら、本を紹介してもらうことも、読むことも、深い価値観に気づくことも、思考することも、自分の甘さを認識することも、行動を変えることもなかったと思います。生徒に感謝しています。「動物の権利」と筆者に感謝しています。そして、エルの存在そのものに感謝しています。

「学びの4段階を達成した卒業生」

11月2日(水)、5年生(高校2年生)を対象に、進路説明会「卒業生を囲んで」が行われました。大学に在籍している卒業生達が5年生全員に、自身の高校時代のキャリアデザインや学習への取り組みを話してくれたり、大学での探究活動や生活について説明してくれたりする行事です。本格的に受験勉強に取り組み始めている5年生にとっては、自分の行動(生活)を振り返る機会であると同時に、今後のキャリアを再度真剣に考えるきっかけとなる機会でもあります。

今年は10名の卒業生にお願いしました。東京農工大学(農学部地域生態システム学科)、東京藝術大学(美術学部絵画科日本画専攻)、日本大学(医学部医学科)、埼玉大学(教育学部学校教育教員養成課程小学校コース文系)、明治大学(文学部日本文学専攻)、上智大学(文学部国文学科)、明治大学(情報コミュニケーション学部情報コミュニケーション学科)、文教大学(教育学部心理教育課程幼児心理教育コース)、東邦大学(看護学部看護学科)、獨協大学(法学部国際関係法学科)。それぞれの卒業生が独自の経験知を駆使して、後輩に向けた熱いメッセージを送っていました。「6年生の体育祭と受験勉強との両立は難しいが、両立しなければ終わりだ」「絶対この大学のこの学部に行く、という意地やこだわりが大切」「中学生の時から法学部に進学したくて、その意思を貫き通した」先輩の言葉は、親や先生の言葉よりすっと心に入るようです。

進路説明会終了後に、2人の卒業生とお話しをしました。一人は農学部の4年生、もう一人は美術学部の3年生です。農学部の卒業生は、地域を限定して鹿の生態をグループで研究し続けていました。美術学部の卒業生は、1年次から積極的に展覧会に出品し続けているそうです。大学卒業後の進路について尋ねると、二人とも「大学院修士課程に進む」と、間髪入れずに答えました。私はその進路を思い切り後押ししました。「絶対に大学院に行きなさい。私は大学4年生の時教授に誘われたけど、大学院に進まず就職をしたのです。でも、ずっと後悔の念が消えず、45歳の時に受験して合格し、47歳で修了しました。2年間、本当に楽しかった」という話もしました。二人は目を輝かせて聴いてくれました。

学びには4つの段階があります。「第一段階:人から学ぶ」「第二段階:人と学ぶ」「第三段階:自分で学ぶ」「第四段階:自分を学ぶ」二人の卒業生は、中村での6ヵ年一貫教育を経て、大学4年、あるいは大学3年までの期間で、この4つの段階を着実に歩んでいったのです。「受動的学習」から始まり、先生や級友との「協働学習」を経験し、「個の学習」の重要性に気づき、「自分を学ぶ難しさ」を認識するに至ったのです。大学院修士課程を希望している今、二人の卒業生は、学ぶことの奥深さと楽しみを噛みしめ、自分を磨くことの難しさと愉しさを悟り、未来の自分を学ぶことに小躍りしているように見えました。二人の卒業論文と修士論文が楽しみです。この卒業生達の研究分野を踏まえた上で、私は別れ際に「修士課程を修了したら、博士課程に進みなさい」と伝えました。大学の教授を目指しなさいという意味で言ったのではありません。二人の探究にとって、修士課程2年間はあまりにも短いと判断したからです。二人は必ず、もっと研究したくなると予想したからです。学問の美味しさを知ってしまったら、食べずにはいられません。そして、食べ続けていいのです。頭のダイエットは必要ないのですから。

「フォロワーシップとリーダーシップを兼備した生徒」

10月29日(土)、30日(日)に本校の文化祭である「清澄祭」が行われました。今年のテーマは“one step forward”でした。一歩前へ踏み出し、中村らしいアウトプットの場にしようという願いを込めて、生徒実行委員長と副委員長が設定しました。クラス、部活動、委員会等における活動で培った力を発表する文化祭という機会に、生徒一人ひとりが自分の役割を自覚し、堅実な歩みを体現しようという意欲的な文化の祭典になりました。当日は、生徒の家族・友人をはじめ、学園関係者、地域の方々など、多くのお客様をお迎えすることができました。

クラスでは代表委員やクラスリーダーを、部活動では部長を、委員会では委員長を中心にして、それぞれの団体の目標を達成するために、全校生徒が各々の役割を責任をもってこなしていました。もちろん、校友会(生徒会)会長をはじめ、役員の生徒達や学校週番の生徒達のサポートも、盛大な清澄祭への大きな推進力になりました。また、PTA役員・委員、後援会、同窓会、おやじの会の方々の多大な協力体制も、生徒達の活動を後押ししてくださいました。

大きな行事を成功に導くには、リーダーシップが必要です。文化祭という行事は、構造が複雑なので、多数のリーダーが存在します。クラスのリーダー、部活動のリーダー、委員会のリーダー等です。一般的に、リーダーにはさまざまなタイプが存在します。「独断的専制型リーダー」「温情的専制型リーダー」「協議型リーダー」「集団参加型リーダー」「成果を重視するリーダー」「チーム維持を重視するリーダー」「教示的リーダー」「説得的リーダー」「参加型リーダー」「委任的リーダー」「ヴィジョン志向的リーダー」「変革型リーダー」などです。

もちろん、生徒はこのような「リーダーのタイプ」を意識しているわけではないので、実際には、さまざまなタイプのリーダーシップを無意識に融合してリーダーを務めていました。しかし、多くのリーダーに共通していたのは、「自分の背中を見せる」という特性でした。「自分のヴィジョンに向けて進む、そのための指示を出す、そして任せる部分は任せる、でも、自分も精一杯行動する」ということでした。この姿勢が、校内のあらゆる場面で感じられました。多分、多くのリーダーたちは「置かれた場所で咲く」ことの重要性を認識していたのでしょう。どんな小さな仕事でも大切であるという価値観を持っていたのでしょう。その上で、牽引車としての役割を果たしていたのでしょう。清澄祭初日の朝、実行委員長の生徒が全学年の実行委員の生徒達に向けて、「自覚、笑顔、5分前行動を忘れないで」と言ったことに、私は懐の深さを感じました。

リーダーは、リーダーシップだけを備えていればいいわけではありません。先頭に立ってメンバーを鼓舞するだけのリーダーでは、変化の激しいこれからの社会に対応していくのは困難です。周りを見ながら、メンバーの力を引き出しながら、時にはリーダーとして、時にはフォロワーとして、柔軟に物事に正対する姿勢を有することが、リーダーに求められる資質です。中村の生徒は、「一隅を照らすフォロワーシップを備えたリーダー」を目指します。「理想を語り現実的に行動するリーダーシップを備えたフォロワー」を目指します。

 

「豊かな経験知から見える景色」

11月16日(水)の午後、“Nakamura English Day”が行われます。中学1・3年生は、日頃の英語学習で身につけた力を使って、さまざまなテーマについて書かれた英文や著名人の英語の演説を理解し、その内容を自分なりに消化し、その英文を暗記して中学校全学年の生徒の前で発表します。2年生は国内サマースクールで、外国人に深川を案内したことを、パワーポイントを使って英語でプレゼンテーションをします。

“Nakamura English Day”で発表するためには、選考会で選ばれなければなりません。その選考会である”Pre-English Day”が、今週、学年単位で行われました。全クラスの発表を聴きに行きましたが、3年生の中には、身振り手振りを加えつつ、まるで本当の演説者のように「スピーチ」をしている生徒もいました。このような生徒は、暗記した英文を発表するという域を超えて、英語をコミュニケーション手段として内容を聴衆の心に訴えるという域に達していたと思います。また、初めて発表する1年生については、全クラス、始まる前から教室全体が緊張感に満ち溢れた状態でした。黒板の前に立った時には、緊張が極限に達していることがクラスメートにも私たちにも伝わってくる雰囲気でした。「一所懸命暗記したのに忘れたらどうしよう」「クラス全員が自分に注目していてドキドキする」「自分の英語を聞かれるのは恥ずかしい」「授業担当以外の先生や保護者の方が後ろで聴いているのでプレッシャーだ」「大きな声が出せるか心配だ」など、さまざまな思いを胸に発表に臨んでいたようです。全員の発表が終わった後に、「緊張した人」と尋ねてみましたが、私の問いかけが終わるか終わらないうちに、全員が勢いよく手を挙げました。

極度の緊張状態の中で外国語を使って発表することを、1年生は経験しました。一生の中でも最初の貴重な経験です。全員の発表が終わった後、私は生徒たちに、「皆さんが緊張していることはよく分かりました。でも、その張り詰めた気持ちを乗り越えて、教室の一番後ろまで届く声で発表してくれました。皆さんの健気に頑張っている姿を見て、とっても嬉しい気持ちになりました。初めて英文を見た時から今日まで、一人ひとりが努力して成長したことが嬉しいのです。そのような地道な取り組みを続けていけば、皆さんは必ず伸びます。担当の先生の授業をよく聴いて、先生の指示をしっかりと実行してください。期待しています。」と伝えました。

生徒たちはこれからさまざまなコミュニティーの中で生きていきます。そのメンバーが日本人だけであろうと、外国人を含んでいようと、臆することなく意思を伝達することが求められます。そのための土台構築の一助に、経験としての“Pre-English Day”がなっています。英語の知識・技能を習得することは「形式知」です。そして、”Pre-English Day”のような行事は「経験知」です。感覚などとして体得された知識です。経験知を得るには手間がかかります。しかし、時間がかかった分だけ、さまざまな人生の「景色」をみることができます。その景色の写真が、自分の心のアルバムに増えていけばいくほど、人生は豊かになります。形式知だけを求めて邁進することが必要な時もあります。しかし、そんな時でも、回り道をしたり寄り道をしたりして経験知を求める。こんな気概が、21世紀を生き抜く生徒たちには必要なのです。

「子の思い 親の思い」

「母も父も私の進路について、『自分の目指す路を、迷うことなく進みなさい』と言ってくれました。でも、学費もかかるし、両親に負担がかかるのではないかと思っています。自分のやりたいことだけを考えて、親に甘えた状態で進路を決めていいのか。いろいろなことを考えてしまいます。」これは、中学2年生の言葉です。

この生徒は、親の経済的負担だけを考えているのではないと思います。毎日忙しく動きまわっている親の、身体的負担や精神的負担をも考慮しているのだと思います。親の帰宅時間が遅いのかもしれません。疲れているのに娘の話に真剣に向き合ってくれているのかもしれません。娘の夢にブレーキをかけるのではなく、後押ししてくれているのかもしれません。そんな親の姿を見て、この生徒は自分の生き方を見つめ直すことを、14歳で実践しているのかもしれません。「親は自分のために無理をしているのではないだろうか」と憂慮しながら。

「娘には幸せになってもらいたい。これが私の母親としての望みです。漠然とした希望ですが、そのために今、できることをする。それが親としての使命だと思っています。将来、娘は親の庇護から巣立ち、一人で生きていくことになります。その時に、自分の路をデザインし、その路を切り拓き、一歩一歩着実に歩んでいってほしいのです。」これは、在校生のお母様の言葉です。

このお母様は、単なる自己犠牲として子どものために何をすべきか考えているわけではありません。もちろん、自分の人生を子どもの人生に重ね合わせて自己実現を果たそうとしているわけではありません。ましてや、自分の敷いたレールの上を子どもに走らせようとしているわけではありません。子どもを「個」として認め、「個の成熟」に資することを、人生の先輩として可能な限り提供したいという思いを抱いているのだと思います。

親には親の楽しみがあります。仕事の楽しさ、趣味の楽しさ、ボランティアの楽しさ、友人と時間を共有する楽しさ、家族と過ごす楽しさ、学びの楽しさ・・・。このような楽しさは、比較の対象にはなりません。さまざまな価値が独立して存在し、かつ融合して、人生の喜びを紡ぎ出しているのです。その中の一つとして、子どもに関わる楽しさがあります。

あるお母様は、「子どもがどんなことでも、一所懸命取り組んでいる姿を見る時、例えようのない幸せを感じる」と仰っていました。勉強でも、習い事でも、趣味でも、交友関係でも、努力を惜しまず夢中になっている姿に幸せを感じるという意味です。純粋に「嬉しい、幸せだ」と感じるのです。

親と子は、このようなお互いの思いを伝え合うべきです。面と向かって話をすることは照れくさいかもしれません。しかし、親の負担を心配する子どもの思いと、子どもの伸長を無条件に願う親の思いが出会って融合した時にこそ、子どもの心だけでなく、親の心にも「風」が訪れるのです。その風は、暴風ではありません。悲風でもありません。もちろん、魔風や疾風でもありません。その風は、親子の気持ちを爽やかにしてくれる「薫風」であり、親子の穏やかな関係を築く「和風」であり、親子の歩みを応援する「順風」であり、何より、親子の心を成長させる「恵風」なのです。家庭で、親と子がこのような心地よい風を感じることを、心より願っています。

 

「3段階のアウトプット」

9月21日(水)、深川江戸資料館で「深川母の会」が主催する「少年の健全育成をめざす深川親と子の集い」が行われました。その第2部で、「第28回中学生の意見発表会」が行われ、本校を含む深川地区の中学校9校の代表生徒が、「ネット利用のルールについて」というテーマで自分の意見を発表しました。

本校からは2年生の生徒が1名参加しました。江東区長、深川警察署長など多くのご来賓や他校の生徒・先生方、深川母の会の皆様の前で、芯のしっかりとした声と堂々とした態度でスピーチをしました。他校の発表者の多くは生徒会の役員で、かつ3年生でしたが、臆することなく落ち着いて発表していました。

「ネットは情報収集をする際には非常に便利であり、iPadを使ったプレゼンテーションなど多くの活用法がある反面、使い方を誤ると犯罪に巻き込まれたり被害にあったりするなど、怖い面もある」というネットの長所・短所の理解や、「スマホの使用はリビングルームで午後10時までとする」という家庭内ルールについて、しっかりと伝えていました。

発表の終盤で、私はこの生徒の言葉に惹きつけられました。会場で聞いていた方々も、心をぐっと掴まれたように見えました。それは、「ネット利用は基本的に個人の自由です。危険な面もありますが、自分自身が気をつけて正しく使っていれば大丈夫だと思います。しかし、私たち中学生は、自分自身が思っている以上に『子ども』です。知らないことがたくさんあります。ですから、どのように利用していくか大人と一緒に考えることが課題だと思います。それが、これからの世の中に笑顔が満ちあふれることに繋がっていくのだと思います。」という言葉です。

ネットの長所・短所について調べて発表することは「単純アウトプット」です。つまり、インプットした情報をそのまま外に出すことです。それを家庭における親子関係と結びつけ、家庭内ルールとして具体化して発表することは「関連アウトプット」です。つまり、インプットした情報を身近な要素と関連させて外に出すことです。その後、冷静な自己評価をして、将来の社会に思いを馳せて発表することは「創造アウトプット」です。この創造アウトプットこそが、自分のオリジナルな意見です。

「自分はまだまだ子どもだ」という冷静な自己評価、「大人との協働が必要だ」という客観的な分析、「笑顔が満ちあふれる世の中」という将来展望。この「単純アウトプット、関連アウトプット、創造アウトプット」というプロセスは、大学生や社会人に求められている「思考力・判断力・表現力」の表出過程です。2年生の生徒の発表には、この過程がしっかりと含まれていました。だからこそ、聴衆の心に届いたのだと思います。これからも、勉強、部活動、委員会活動、習い事、友人や親との会話などさまざまな場面で、この「3段階のアウトプット」を実践してほしいと思っています。そのために「できること、すべきこと、したいこと」を、私たちは地道に、そして継続して、生徒に提供していきます。

「人の話を聞ける 人に話ができる」

9月7日(水)、中学3年生を対象に「中村高等学校進学説明会」を行いました。願書提出、制服採寸、学校指定用品申し込み、選択科目希望用紙提出、入学手続き等の事務的な内容も含まれていますが、主なテーマは「高校生としての心構えの構築」です。私が、キャリア・コンサルタントとしての視点も盛り込んで講師を務め、45分間15枚のパワーポイントを使って、「3年生の長所」「自分の夢、親の夢、先生の夢」「自立と自律」「親の思い」「人の話を聞く」「人に話ができる」「自分の成長」等について話をしました。次の段落は、私がお話しした一部です。

「素直、授業中の反応が良い、さっぱりしている、知的好奇心が芽生えてきた、責任感がある、計画の重要性を認識している、理解力が高まった、相手の立場を想像できる、周囲の状況を見て行動する、相手の気持ちを考える・・・。これらは、皆さんの長所です。学年の先生方から聞いてきました。皆さんは2年6ヶ月でこのような強みを身に付けたのです。自分自身の長所や強みを大切にして、大きく育てていってください。そして、新しい長所をどんどん見出していってください。お母さんやお父さんにも、『私の長所って何?』って尋ねてみてください。一緒にいる時間が一番長い大人が親です。子どもの長所・強みを一番よく知っているはずです。ですから、親から言われた長所はこれからもずっと大切にしてください。」

説明会後には「振り返り用紙」に記入をしてもらいました。その中に、「最も印象に残った言葉は、『長所と強み』です。なぜなら、今まで自分の長所などはあまり考えたことがなかったからです。高校生になったら、自律できるようになりたいと思いました。」という感想がありました。また、「もうすぐ高校生になるんだと改めて実感しました。長所を大切にして、高校生としてあるべき姿を中学生のうちに学んで、高校に入学したいです。」という感想もありました。

3年生全員の振り返り用紙を読むと、長所だけでなく、自分の夢、自律、親への感謝等についても、生徒一人ひとりが気づきを得てくれたことが分かりました。お話をしている途中で私は、「耳で聞くだけでなく、心で聴いてね。私も心の底から皆さんに話すからね。」と言いました。深く考えるきっかけや発見を得た生徒たちは、「(耳で)聞く」から「(心で)聴く」へモードを変えることができたのです。そして、「(心で)聴く」から「(頭で)理解する」という思考の整理に到達し、私の話に「関心を持つ」という気持ちの変化を実感し、振り返り用紙に自分の独創的な意見を「書く(アウトプットする)」というサイクルを達成したのだと思います。

このようなサイクルを習得した時こそが、「人の話を聞ける 人に話ができる」生徒になった時と言えます。相手の話を表層的に聞いて、思いついたことをそのまま言葉にして投げつけているうちは、コミュニケーションは成り立ちません。それは「ドッジボール」です。勝つために相手にボールを当てて痛い思いをさせるだけの行為です。コミュニケーションは「キャッチボール」です。相手が投げたボールをきちんと両手で身体の正面で受けとめる。そして、相手が取りやすいボールを身体の正面に投げる。その基盤となるのが、「聞く・聴く・理解・関心・アウトプット」というサイクルです。人の話を聞ける、人に話ができる人になってほしい。言葉のキャッチボールができる人になってほしい。相互的意思伝達ができる人になってほしい。来年の4月、そんな人が集う中村高等学校入学式を、心の底から楽しみにしています。

「視野を広げる」

長い夏休みも残り1週間弱となりました。夏休み前、7月15日の全校集会では、まず4月からの振り返りとして、“CAN MUST WILL”の達成状況を自己評価して夏休みを迎えるように話しました。「できることは100%やろう すべきことに背伸びして努力しよう やりたいことにジャンプして挑戦しよう」という姿勢をしっかり持って夏休みを過ごしてほしいと伝えました。また、4月の始業式で「皆さんに地球を任せます(ブログ第1話)」と宣言したことに触れ、視野を広げるという視点で違う角度からお話ししました。

2016年は人によっては特別な年です。演劇や英文学に関心がある人にとっては、2016年はシェイクスピア没後400年となります。日本史に興味を抱いている人にとっては、徳川家康没後400年となります。また、国文学が好きな人にとっては、夏目漱石没後100年となります。さらに、ピーターラビットのファンにとっては、ビアトリクス・ポター生誕150年となります。「ジェーン・エア」を読んで感動した人にとっては、シャーロット・ブロンテ生誕200年となります。

私が大学1年生の時に、坪内逍遙以来45年振りとなる「シェイクスピア全集(小田島雄志)」が刊行されました。どうしても欲しかったのですが下宿していてお金がなかったので、父にお願いして買ってもらいました。父は二つ返事で願いを叶えてくれました。今でもその時の電話のやりとりを鮮明に覚えています。大学時代はもちろん、教師になってからも読みました。何回読んでもその度に異なった示唆を与えてくれるのがシェイクスピア作品の奥深さです。生徒にも読んでほしいと思ったので、自宅から全集を持ってきて校長室の書棚に置きました。そして、全校集会でシェイクスピア没後400年の話をして、「校長室に小田島雄志先生のシェイクスピア全集があります。自宅から全7冊持ってきました。読みたい人にはお貸ししますので、来てください。実は、皆さんの先輩で、私から借りて1巻から7巻まですべて読み切った人がいます。皆さんもその先輩に続いてみませんか」と呼びかけました。

全校集会の日の夕方、職員室に戻ると机上にメモがありました。「校長先生へ シェイクスピア全集読んでみたいです。貸し出しを希望します。よろしくお願いします」この高校生の視野は、シェイクスピア没後400年という私の話からシェイクスピア全集へと広がりました。そして、今、「間違いの悲劇」「ロミオとジュリエット」「から騒ぎ」「ハムレット」「オセロー」などの作品に触れ、さらに広がっていることでしょう。もしかしたら将来、大学の英文科に進み、シェイクスピアの作品を自分で翻訳するかもしれません。その時に、「ハムレット」の“To be, or not to be: that is the question.”の翻訳に悩むかもしれません。「死ぬるが憎しか、生くるが憎しか、思案するはここぞかし」「存ふるか、存へぬか、それが疑問ぢゃ」「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」「やるべきか、やらざるべきか、それが問題だ」「何かを為すべきか、何も為さぬべきか、それが問題だ」「やる、やらぬ、それが問題だ」「わたしはわたしなのか、わたしではないのか、それが問題だ」「このまま居るべきか、居なくなったほうがいいのか、それが問題だ」「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」「やったろか~、あかんか~、ほな~、どないしよ~」「成るか、成らぬか、それが問題だ」・・・。先人達の翻訳に触れて視野が広がる。その翻訳を解釈してさらに視野が広がる。思い切り広げた視野の中で、独創とも言うべき翻訳を生み出す。視野を広げようという意識を持った生徒には、学びの終着駅はありません。

「真の両立」

暑い夏が続いています。6年生(高校3年生)の心も熱く燃え上がっているはずです。進路実現という自己目標に向かって、開会式が行われた第31回夏季オリンピック競技大会(2016/リオデジャネイロ)の聖火のように、途絶えることのない炎を抱き続けているはずです。史上最多の205カ国・地域からの、1万人超の選手の中には、自らの競技練習とその他のライフ・ロールを両立させてきた選手もいるでしょう。

5月24日に行われた本校の体育祭前に、ある6年生とお話をしました。その生徒は体育祭の応援団に所属していて、応援合戦の企画・運営・後輩指導に4月から多忙を極めていました。当然、応援合戦の準備で、今までよりも多くの時間を費やさなければならない状況だったので、話のテーマは勉強との両立でした。つまり、体育祭応援団という役割と受験生という役割を同時にこなしていく、ある意味で「マルチ・タスク」についての議論になりました。人生において、一つのことに集中するだけで生きていくことができる時期はほとんどありません。つまり、人生においては、一時期にいくつかのライフ・ロールをこなしていくこと、言わば「両立」が常に求められるのです。

相談に来た生徒は、「応援団の活動のために、毎日の勉強時間が短くなります。でも、睡眠時間を削ることはできないので、通学時間に集中して勉強し、学習時間が減らないように心掛けます」と言っていました。これは、「細切れ学習」の実践です。つまり、通学時間や、帰宅してから夕食までの短い時間や、学校での休み時間や昼休みの時間などを有効利用するということです。常に教科書、参考書、ノートを机の上に広げておくことによって、椅子に座ればすぐに勉強できるという環境を作っておくという手法です。もちろん、内容は必然的にすぐ取りかかれるもの(漢字、古文単語、英単語、歴史の一問一答問題、数学の例題、理科の暗記部分等)になります。この「細切れ学習」ができるようになると、次の段階に自然と進むことができるようになります。それは「高密度学習」です。「この時間内にこれを終わらせる」という、制限時間を意識した、学習の質を高める段階です。「何を、どれだけ、いつまでに」こなしていくかを常に意識して、今まで60分でやっていたことを45分に短縮してやることによって、余剰時間を増やしていく手法です。

哲学の祖タレスは、「人生で一番易しいことは他者を批判すること。人生で一番難しいことは自分を知ること。人生で一番楽しいことは目標を立てその実現に向かって努力すること」という言葉を残しました。大学受験勉強(自分が興味を持っている学問を追究することができる環境を手に入れるための勉強)は本来、人生で一番楽しいことです。この意識が芽生えると、受験勉強は、「苦しい勉強」や「楽苦しい勉強」ではなく、「楽しい勉強」になります。勉強が単なる大学合格の手段ではなく、勉強すること自体が目的となります。

物理的に「細切れ学習」や「高密度学習」を目指すとともに、精神的に「楽しい勉強」を目指すことができる生徒。これが「真の両立」を追求する生徒です。6年生が全員、このような成長を果たして夏休みを終えることを、私は心から信じています。

“Time is life”

7月16日(土)から昨日、7月28日(木)まで2週間、新潟県湯沢まで学習合宿に行ってきました。朝8時から授業が始まり、夜の11時30分まで勉強する6泊7日の勉強のためだけの合宿です。国語・数学・英語の3教科の授業を朝から夕方まで行い、夕食後は復習のための自学自修を行うというプログラムです。私は6年生(高校3年生)と4年生(高校1年生)の英語の授業を担当しました。

4年生の授業では毎日単語のテストを行い、7日間で合計800語を確認しました。もちろん、合格しなかった場合は追試です。授業では、基本例文の確認、文法問題の演習、英文精読を行い、この3つの視点から準動詞(不定詞・動名詞・分詞)を掘り下げました。使用したオリジナルテキストには、次のような英文を入れておきました。

”Life is very short, and the future is hard to predict.  People say, ”Time is money”; time, however, is more important than money.  Money lost can be gained again, but time lost will never come back.”(人生は非常に短く、未来は予測し難い。「時は金なり」と言われるが、時はお金より重要である。失われたお金は取り戻せる可能性があるが、失われた時間は決して戻ってこない)

当然のことですが、自分でお金を稼いだことのない4年生にお金の大切さを説いても、実感はあまり湧いてきません。また、平均寿命まで70年以上ある4年生に時の尊さを諭しても、私たちが抱いているような感覚は表出されません。しかし、時間はお金よりも重要なものであるということを、4年生は頭ではきちんと理解してくれました。

6年生の授業では、大学入試文法問題演習と大学入試読解問題解法確認を行いました。全員が4年制大学進学を目指しているので、完全に大学入試対応の内容です。また、毎日、食事の後には、モチベーションを高めて地道な努力を続けてほしいという願いを込めて、引率の先生方からお話がありました。私は最後の夕食後に話すことになりました。6年生には、「受験まであと6ヶ月、時間は有限である」という実感があります。また、「受験料、入学準備金、入学金、授業料という多額のお金を親に負担してもらう」という感謝の気持ちがあります。6年生なら、より現実的に受けとめてくれるという確信があったので、私は次のような話をしました。

「”Time is money”という視点には弱さがあります。皆さんには”Time is life”と思ってほしいのです。失われた時間は戻ってこないと考えることも大切ですが、今、皆さんが遣っている時間は、自分の人生、生活、命の一部を遣っている時間だと考えてほしいのです。だからこそ、『今、ここで』という意識を持って、『今、ここで、全力投球するんだ』という強い意志を持ってほしいのです。すでに実践している人もいます。まだ実践していない人も、今、ここで、できるように変わってください。皆さんならできます。」

自分の人生、自分の生活、自分の命を大切にすることは、「自分」を大切にすることです。自分を甘やかさない、自分に嘘をつかない、自分を欺かない・・・。そんな生き方ができる生徒がいます、そんな生き方をしようとしている生徒がいます。私が生徒から人生を教えられた瞬間でもありました。